>>192

おはようございます。


聖域については、他者が法が介入出来ない(プライベートな)領域と私は述べました。日記は他者に見られなければ書き手以外には無いも同然なので聖域としました。

実はあなたの主張に近く、介入出来なかったから聖域になった、と私も考えているのです。
しかし、政治的意図を持って介入しなかったと言い切るのは憚れます。コストがかかり割に合わなかったからでは。
その判断ですら、あなたは政治的(経済問題はすべからく政治問題ですから)と言われるかも知れませんね。

聖域が消滅しえる世界がようやく到来する時代になりましたね。あらゆる電化製品が人々を監視、盗聴し、AIが解析する時代です。
脳波をモニタリングするようになるのも時間の問題です。

話を戻します。
聖域とするその領域へ外部から干渉は出来るので、全く独立している訳ではありません。が、思考、情報収集とその保全に取捨選択の自由は残されています。
オーウェルの1984のようにテレスクリーンから私生活を覗かれているのが公然な世界であれば、聖域は頭の中だけですね。
それすらも二分間憎悪という攻撃によって強い干渉を受けています。そう考えると純粋な聖域は本来存在しないのかも知れません。

ところで、秘密を作る習慣を日本特有の事情とするのには無理を感じます。監視、密告、連帯責任制度などは程度の違いはあれどの世界にも見られると思います。
その地域特有の形に姿を変えているものの、本質と言えるものに違いが無いのではと私は思います。

色々と考えを巡らせる機会になり感謝しています。ありがとうございました。