>>487
山科での東西線と京津線の接続は、地理的条件が悪くて不可能だったため
御陵で東西線と京津線が接続をする、現在の形になった。

余談だが、当初の京津線の東西線乗り入れ区間は、御陵〜三条京阪間の計画だった。
しかし三条京阪の西側は、鴨川の地下をくぐるシールド工法のS字カーブとなっていて
折り返し線が建設できなかったため、御池通りの地下に折り返し線が建設できる
京都市役所前までの乗り入れとなった。

どちらも、地理的条件の悪さがネックとなり、やむなく計画変更がされた経緯がある。