当時学研都市線は松井山手より先、木津まで4両限界であった

従って、207系は分割可能な編成が必要であり学研都市の振興という目的からも運用の分離はあり得ない選択だった

全区間7連化は皮肉にもあの事故の発生による安全対策まで待たざる得なかったという

最終的に運用上の効率や管理上の手間を考え4連3連で統一する道を選んだと言う事(本当は4連だけにしたかったはず)