国鉄時代に転用改造した車は、下回りを105系に合わせ、新造部品を含め徹底的に直し
+新造分は当時流行りのユニット運転台にした一方、車体は最低限の改造だった。
(見た目に比べ、相当金がかかったらしい。電化の費用対効果含め、やっぱり会計検査院の指摘あり)

播但・加古川転用車は全く逆で、車体には手を入れたのに下回りはそのまんま。
運転台も鋼体残して廃車部品を使いまくって運転台を作ったって、全く逆なのが興味深い。

ボロのキハ58や35、40から一転。見た目新車の103が来たら「新車」と思うだろうし。