維新から東京都知事選挙に出馬して、落選、莫大な供託金没収の小野さんは
熊本県の副知事だったが、彼が、選挙に出なかったら、少なくとも、熊本水害で助かった命も多かっただろう。

上流にダムがない日本最後の清流というのは、とても素敵な響きだが、
それは下流域に住んでいる人以外の話だということを改めて認識させる災害だったように思う。

以前、球磨川を川下りして思ったことは、下流域の河川形状が狭隘なV字渓谷をなしており、河川流量や集水面積に対して
十分な流量が確保できないという特徴を持った河川であるということだ。

今回の災害で上流にダムがあればどの程度被害が軽減されたのかは相当精密な研究が必要になると思うが、
また、最後の清流論争との兼ね合いもますます難しくなることも見込まれる

テロなどによる死亡確率が世界的に低い日本は天災で命を落とすことの方が多い。
今ここに生きているから明日の今頃を生きているとは限らない。
今を大切にし、人に優しくなくては、最期に悲しい思いするのは想い・想われる人なのです。

気象庁からは、「50年に一度、100年に一度の豪雨」と、近頃毎年のように警告が出されている。

にも拘わらず、亡くなる方や屋根で救助を待つ方々が後を絶たない。

もう、我々は毎年氾濫する川の映像を見続けているので、
「毎年恒例の豪雨が〇〇地方で起こります。」と言う警告の方が、住民には分かり易く、避難を促すのではと思う。

「50年に一度、100年に一度」は見たことが無いのでピンとこないが、「毎年の豪雨」は、ニュースでその恐ろしさを知っている。

コロナ禍でさらに大雨で、建物を流され、橋も道路も、人も流されて、さらにまだあと丸々三日も降るの?
これって緊急事態なのでは?