憲法改正を「凍結」したまま、解釈改憲で、なし崩しに再軍備を進めるのが、池田首相以降の自民党の現実主義だった。
他方、安保闘争を「大衆運動の勝利」と勘違いした社会党は「護憲」を掲げた。

これは「自衛隊も安保条約も憲法違反だから廃止しろ」という憲法解釈、それが現実に不可能であることは、彼らも知っていた。
1994年に政権を取った社会党の村山首相は、自衛隊も安保もすぐ容認した。
解釈改憲がグレーな自民党に対して、社会党は真っ白な「正義の党」として一定の支持を集めたが、決して国民の過半数には届かなかった。

万年野党の原因が中選挙区制にあると考えた人々は、1990年代に政治改革で小選挙区制にしたが、野党への支持は変わらなかった。
他方でドイツは比例代表制でも、野党が成長して政権交代を実現した。

 野党の成長を阻んできたのは選挙制度ではなく、憲法9条という「保育器」だった。
アメリカは日本を守る「強い父親」だが、日本に父親を守る義務はない。そのカプセルは心地よく、自民党もそれを守ってきた。

戦後日本の長すぎた幼年期は終わった。このままでは野党は、かつての社会党と同じ道をたどるだろう。
その末裔である社民党は国会議員4人の小政党となり、いまや党首選挙の立候補者もいなくなった。
野党も保育器を出て、大人になるときだ。安保反対だけでは、政権を倒すことも交代もできない。(2018/1/19 Japan Business Press)