そもそも自爆くんの立場は、法というの境界内”だけ”で考えたら、帝国憲法が現存すると考える方が妥当だとするものですが、
しかし、法とは何かと言った場合、その対象が議論の遡上に上がるわけですから、法以前の哲学的な考察が求められるわけです。
ところが、自爆くんの場合は先にも書いたように、法は法からでしか認められないといった立場しか認めないわけです。
つまり、そもそも法は何であるかは議論の対象とはしないわけです。
議論の対象とすると、革命主義者か!とか、暴力主義者か!とか言った煽情的な言葉を返し、
そうした事を考えてるような人とは議論にならないと議論を打ち切るわけです。

”法とは何か”といった、法とそれ以外の境界を考察する分野は法哲学と呼ばれる学問に該当しますが、
革命等々を通じて、多くの国で、既存の法に即したものでなくても、法として認められてる事を踏まえても、
当然、法とは既存の法に照らした物でしか認められない等とは考えてはいないわけです。

自爆くんの考えてることは、法哲学的な観点から言っても、おかしいわけです。

ちなみに、日本の憲法学で通説だとされるのは断絶説です。法的連続性が無いとするものです。
こうした主張の前では、自爆くんがいつも繰り返す、膨大な帝国憲法学説のコピペも的外れものになるわけです。