〇 南出とその愉快な仲間たちに見られる共産主義との共通項

赤い丸い物体を指して、『あれはリンゴだよね!』と呼べるには、他者もそう思うであろうとする状況が必要なわけです。
法も同じで様々な状況を勘案して、『あそこに書かれてる内容は憲法だよね!』と呼ぶにも、
同じように他者もそう思うであることが求められるわけです。
当然、帝国憲法はそうした状況になく極限られた人達の頭の中で存在する産物に過ぎず、法ではないわけです。

こうした事を指摘すると、自爆くんは『感情論だ!』と述べ逃げるわけですが、法が何であるかを考える上では、
人間の認識は避けらない以上、反論になってないわけです。

次に『感情論だ!』と述べる背景には、人間の認識とは無関係に法的秩序が存在すると考えてるからでしょう。
南出からすれば、『そうし秩序を発見したのであって、発明したのではない!よって感情若しくは認識論の問題ではない。
科学的な事実だ!』とったいった所なわけです。

こうした対象そのものに、物事の本質があると考えるのは共産主義でお馴染みである『唯物論』とった考えなわけです。
そうした物事の本質に照らして、人間社会を引き寄せることは正しいといった考えは、まるで共産主義者まんまなわけです。

哲学ではこうした考え方は否定されています。目に見えるものがキャンバスだと例えるな、その情景の中かから、
ある対象が切り取られることなったのは、恣意的な人間の認識によるものだ、物自体に本質を言い当ててるのでないとされています。
リンゴがリンゴであるのは、リンゴそのものの本質を言い当てたのではなく、例えば『梨とは違うからだ!』この違う部分に焦点を当てることなったのは、
人間の恣意的な認識だとするわけです。

『唯物論』的な考えはは哲学的に否定されるのと同時に、南出や自爆くんのような考えも、同時に否定されるわけです。