まず「信用が生まれるので通貨として機能する」というのはまやかし。
たとえば円天や偽札をみんなで通貨として使い始めれば、そこには貨幣として機能する信用が生まれているということになる。
しかし実際にはそれらは違法とされている。
上記のように、偽札を生み出すだけで法定通貨の価値を手に入れられるので、偽札とは法定通貨の価値にフリーライドしているものだからだ。
又、法定通貨は社会を円滑に機能するように発行したり減らしたり金利を上げ下げなどして、さまざまな調整役となるわけだが、
偽札があると勝手に発行されて法定通貨の価値が薄まったりして、その調整ができなくなる。
法定通貨と互換性のある仮想通貨もこれと全く同じことが起きている。

「仮想通貨は偽札と違って、ブロックチェーンでの信用の生成という価値を生み出しているじゃないか」という反論があることだろう。
まず、信用の生成そのものだけでは価値ではない。
偽札もみんなで通貨として使い始めれば、そこには貨幣として機能する信用が生まれている。
だがその信用自体に価値はない。
信用とはそれと等価交換できる担保するものがあってはじめて価値が出るわけだ。
仮想通貨には改ざん不可能な台帳という価値しかなく、法定通貨のように国家そのものという巨大な担保が有るわけではない。
仮想通貨は国家そのものという担保にフリーライドしているに過ぎない。これは偽札といえる。
かつてサブプライムローンもまた個人の信用を元にした金融商品だったが、
信用そのものに価値を付けてもそれは担保無きものなので、無から価値を創造したに過ぎず、
やがてその信用が売り物にならなくなると、等価交換できる担保がないものなのですぐにクラッシュして無価値となった。

信用そのものでは価値はなく、信用を担保するものがあってはじめて価値が出る。
国家の発行する法定通貨だけがそれを満たしている。
仮想通貨はそれがなく、法定通貨の価値にただのりする偽札ってのが本質だ。
「信用を作るだけなら偽札と一緒」。