>>359

忠節や信念に宿る道徳的力の一部は、次のような事実の中にある。
つまり、それらに従って生きることは、自分自身を特定の人間、
-この家族、コミュニティ、国家、民族の一員、あの歴史を担うもの、この共和国の国民ー
として理解することと不可分だという事実である。
こうした忠義は、私がたまたま、やや距離を置いて保有する価値観以上のものだ。
それは、私が自発的に引き受ける責務や人類そのものに対して負う「自然的義務」を超えてる。
この忠義のために、私はあるひとびとに対し、正義が要求したり許可したりするものよりも多くを負っている。
その理由は私が同意したことではなく、多かれ少なかれ持続的な愛着と関与を持っていることにある。
こうしたものが合わさって、私という人間の一部を定義するのである。 

「手続き共和国と負荷なき自己 by マイケル・サンデル」

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日本人というあり方に持続的な愛着を有する限り、現時点を含む過去に対し一定の理解を示すことで、
そうした感情の妥当性が補完されるわけです。
また、揚げ足を取られたくないので、言っときますけど、こうした認識はその強度も含めて人それぞですよ。