「共産党支持者3%程度、廃止論者7%程度」というのは統計学的な結論ですね。
つまり、「廃止論者中の共産党支持者の割合は多くても4割程度」というのが結論だということです。
この数値を大きく超えることがいかに超低確率なのかも、何度も計算して明らかになっています。

この「現実」「統計学的事実」「数学的事実」を突きつけられてもなお、
「いや、廃止派の“ほとんど”が共産主義者だと“思う”のは自由じゃんかよ」と主張する人がいます。

まあ、確かにそう「思う」のは自由なんですけど、
廃止派中の共産主義者の割合がこの数値よりも大きく異なるということが示唆される材料など何もないのに、

い っ た い 何 の 必 要 が あ っ て 、 そ う 思 わ な い と い け な い ん で し ょ う か ね ?

「 そ う 思 い た い 」 と い う 衝 動 に 駆 り 立 て て い る モ ノ っ て 、 何 な ん で し ょ う か ね ?

廃止派中の共産主義者の割合なんて、天皇制の要・不要論の是非とは何の関係も無いのにね。

「何が何でも、どうあっても、廃止論者は共産主義者である “ と い う こ と ” にしてやりたい」
「一人でも多くの廃止論者を、共産主義者である “ と い う こ と ” にしてやりたい」

・・・・・・という、尋常ならぬ執念というか、病的な強迫観念を感じずにはいられませんね。

いつもいつも思うのですが、論理的にも統計的にも「ほとんど」という結論など出てこないのに、
こういうヒトたちはいったいなぜ「ほとんど」にしたがるのでしょうか?

上で述べた「尋常ならぬ執念」「病的な強迫観念」以外の理由が、わたしには思い浮かびません。