念のため、もう一回

「悪かったのは共産主義だろ!」
「君主制は廃止して、共産化だけしなきゃいいんだろ!」
これが指摘として成り立つのは「君主制は廃止した方がよい」が立証された後。
それ以前はそもそも指摘自体が「いや『君主制は(赤化しない限り)廃止した方がいい』はどこから持ってきたのよ」となるだけ。


  まぁ、分かりやすく言うと
  「創価学会の教えは正しい! あの信者が不幸になったのは信心が足らなかったからだ!」
  「信心が足らない者ばかり例に挙げるならば『創価学会の教えは正しく、信心が足りないのが悪い』に反論はできない!」
  「信心が足りない者を上げる限り、事は創価学会の教えが正しいか否かではなく、信心の多寡となるぞ!」
  …が、今の廃止派さんというわけだ。

…おわかりだろうか。
見ての通り、指摘の内容自体が成立しない以上、それを以て相手の例示を不備とする論自体が成り立たない。
(まぁ、たとえ正当な指摘であっても「指摘を受けるような例示は不備」という理論も凄まじいとは思うが…)
さらに、この問題について脱力モノなのが
今は既に、非君主制国家の失敗例として既にナチスドイツやアフリカの独裁国家等も挙がっているということ。
つまり


  ピロリ君は「ある時期だけでも共産圏ばっかり悪く言われてたのは不備不備不備ぃ〜!!」と言いたいだけ
   

なのだ。…非共産主義者を自称してるんだがね、彼。
ちなみに、彼自体は客観的な形での君主制の危険性の立証はあきらめた模様。代わりに主観として述べてるが…
 ・ 惨禍の原因となった思想を信奉してる人がいるから廃止すべき!(じゃあもっと被害のデカい共産党から先に解党しなきゃじゃね?)
 ・ 解党はダメ! 代わりに一度悪用された制度を廃止するの!(筋違くね? それに、各国の失敗例見ると首相や大統領や書記も廃止しなきゃじゃね?)
 ・ ぼ、僕の主観に賛同できないならスルーしろよ! それでいいだろ!?(え? ↑の問題は? それに君の主観とやらに反論しちゃダメなの?)
というグダグダっぷり。
…この廃止論、もうあきらめた方がいいんじゃない?