そもそもが世襲制の絶対君主(詳しく言えば平時は抑え気味≒立憲君主、時々は独断専行)たった昭和天皇の統治者としての能力は、なにも担保するものがなかった

そして良くも悪くも手本になるはずの先代天皇が、ほぼ心神喪失の常況だったのでヒロヒトは摂政就任時から一人だった
頼りはただ一人の元老、西園寺公望公(ふんどしが心酔する清水澄は国家総動員法制定を巡って、西園寺から「清水なんかに憲法が分かってたまるか」と斬り捨てられた)だったが、その西園寺の「天皇は控えめにいるだけでいい」、という助言に逆らうこともあった

その後も色々あったが、ヒロヒトの人となりは短気、凡庸(だが天皇としてはイキっていた)、かつ臆病な人物だった
彼は日本人数百万人を「彼の名の元に」無駄死にさせ、国土を焦土にした
最後まで「陸軍が悪い、神道の奴らが国粋主義を吹き込んだ」と言い続けた
彼は「国民(という言葉)は嫌いだ。チンと臣民のチュウタイ(主従関係)が喪われる」と言い、国民という言葉を避けた
国民に対して戦争の説明はもちろん謝罪もしないまま死んだ

彼は地獄で、数百万人の無念で無惨な死を遂げた元臣民から手荒い「歓迎」を受けているはずだ