>>507
そういう熱さがまったく無いんですよSEALDsって。
だから筆者としては、SEALDsという肩書は、まあ少なくとも引く手あまたにはならないけれども、逆に「SEALDsやったせいで悪影響があった」という見方にも慎重です。
むしろそういう見方をすることで、彼らの本質が見えづらくなる気がしています。
とすると一つ疑問が残ります。なぜ彼らは就活でコケたのか。
ちょっときつい言い方になるかもですが、単純に彼らが最初から「大学生が新卒カードを使って就活でトライするような企業」からは相手にされてなかったからでしょう。

まあみんな薄々気づいてはいたんでしょうけど、このことは、運動の世話人として深くコミットしてきた左派の識者自身も認めています。
SEALDsなどの政治・社会運動に東大生がほとんどいない件。
いわゆる偏差値の高い学生ほど大学教育を投資と考えていて、リターンに結びつかない活動を無駄と切り捨てると解釈すれば、腑に落ちる。
過日年配の人に今のエリート学生には社会の不正をただす正義感はないのかと問われて思いついた。
— 山口二郎 (@260yamaguchi) January 18, 2016

前置きは長かったですが、以上の点を踏まえると、ようやくSEALDsの本当の姿が見えてくると思います。
あの若者たちは、大衆やエリートからはまったく相手にされなくなった周回遅れの元・知識人たちが、かろうじて言いくるめられるレベルの人材だったのでしょう。
そして言いくるめられた彼らは、同じリベラルの用意したステージに押し上げられ、言われるがまま「元・知識人の理想の若者像」を演じさせられていたのでしょう。
かつての学生運動の主役だった東大をはじめとする有名校の学生や、第一線で働いているまともなビジネスパーソンには、そうした残酷な構図がはっきりと見えていたから、みんな冷めた目で見ていたんだと思います。
以降、
左派が次に創作するのは「あの若者たちは就職差別された。悪いのは企業」というファンタジー
企業が嫌がるのはこういうやらかし