創元推理文庫の翻訳者では、宇野利泰がそんな感じ。
ただし、仮名を増やすのではなく、原文にない表現の追加や、まわりくどい訳文で文字数
を荒稼ぎしている。
ディクスン・カー 『髑髏城』 では、和爾桃子さんの新訳でページ数がかなり減ったという
話だけど、宇野訳は抄訳で一部原文をカットしているにもかかわらず、完訳の和爾訳より
本文だけで40ページほど分量が多かったらしい。
たとえば、こんなぐあい。(おそらく原文に近いのは和爾訳の方)
<宇野訳>
「ではそろそろ、事件の説明にかかるとしようか――なるほどきみはパリのお役人だ。しかし、
バンコラン君、わしが雇うと言いだせば、いくらきみだっていやだと言わんだろう。ひと骨、
折ってくれるにちがいないと思うんだが――」
バンコランは、なおしばらく、眉根(まゆね)に深くしわをよせたまま、グラスの酒を灯火に
かざして黙っていた。
<和爾訳>
「ずばり言おう。君はパリの公務員だね、ムッシュウ・バンコラン。うん、よし。ひとつ、君に
やらせたい仕事がある」
バンコランは思案顔で片眉をひねり、コアントローのグラスをつくづくと灯に透かしていた。
* *
ハヤカワ文庫の 『華氏451度』 でも、新訳を担当した伊藤典夫さんが、古い宇野訳よりも
25%ほど原稿枚数を減らすことができたと報告している。