記号はそれが置かれる文脈によって意味を変える
文脈を考えもせずただ一律に、特定記号を差別表現として排斥するような
非論理的で思考停止的なやり方は絶対に許せるものじゃない

白人ジャーナリストが全身を黒く変色させ、米国南部へ潜入し
凄まじい黒人差別の実情を白人ながら身を張って実体験し告発した
ノンフィクションの名著、J.H.グリフィン『私のように黒い夜』
までもを、白人が黒塗りで黒人の扮装をしているという記号だけで
文脈無視で差別のレッテルを貼り発禁にしろとでも言う気か? 正気か?

以前のラッツ&スターとももくろの黒塗りの時の議論でも同じことだが
ミンストレル・ショーの文脈をちゃんと知って黒人の痛みを判れというなら
まず、批判対象側の文脈もきっちり知った上で、ラッツ&スターによる
黒人ミュージシャンへのリスペクト、黒人への尊敬や憧憬の表明までをも
つぶしてでも強行すべき批判なのかまで考えてから論じろ