>>104が言うような物との付き合い方があるとしよう。
それを認めさせる方法論、突破口として超高度AIによるハザード危機が必要というSF。
hIEやAI以外、物と付き合いがなく、他の突破口への網羅性も無い。
もう一つ問題点として、他人に供給されるレイシアを目の当たりにしていない。
スペシフィックでスペシャルなワンのレイシアが自分にだけ関係を結ぶという構造では、交換可能な物との先進的な関係を描いたとは言えない。
つまり、そのような作品とは言い難い。ていうかまずショックドクトリン肯定すんな。


以上のように考えた場合、これが結論を出す為の過程を経た何か(SF以外でも)とするなら、他人を何だと思ってるのか問われる事になるだろう。
作中の超高齢者である読者に向けて「あなた方が考えなかったのが悪いんじゃないですかね?」等とドヤ演出をした以上、作者は当然問われる。
アラトの異常性を受け入れられる俺、人類の少年期の終わりという受け入れがたい結論を理解する俺、という自意識の増長に使っている読者も同じ。

流行ってるらしい読者のメトーデの超人性の解釈も、米軍がNCWへ舵を切ったのがいつかを考えれば何故そのようなPCWな超人性を求めたのか疑問に思わないのかが不思議なレベルだ。
というか人と物のペアとして考えた場合、そもそもアラトが環境と総体としての人として生きていないのでスタンドアローンとの対比足りえない。
そこが抜けているせいか、レイシアは現行既知領域で人類最強の環境であるネットワークを一方的に利用して強力になるスタンドアローンの超人でしかなくなっている。
ネットワークや機械知性との総体としての人としての生き方を示し、その上でレイシアが居ないとレイシアは在り方としては機能しない。
というか、レイシア級全般で在り方の選定と在り方自体の描写が杜撰で物語を駆動する要素足りえていない。脅威で動いてるだけ。脅威自体は無内容だ。


作者の手癖自体の問題を抜きにして、この作品を認めるのは大体このような難点を潜り抜けなければならないだろう。