邪馬台国畿内説 part1
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邪馬台国畿内説は、完全に破綻してしまったので、今後は、国民から空想科学小説として扱われます、、、 倭人たちは自ら太伯(古代中国の周王朝)の子孫だという。
また昔、倭国の使者が中国を訪れた時、倭人は自ら大夫(周朝の貴族)と称す。
いにしへの夏朝(中国大陸初の王朝)の少康(夏朝皇帝)の子は
中国会稽に封じられると、髪を切り、入れ墨をし蛟龍の害を避けたが
今まさに倭人達は沈没して魚を取るのを好み、同様に入れ墨し水魔を払う。
倭国までの道のりを計算すると、まさに会稽東冶(”現中国の浙江省”)の東にあたる。 ニュースでも邪馬台国がどうとかさわいでるけど興味があんましないね
古代日本の礎がどうだったかみたいな話に興味があるのは極一部だよ まとめ
西暦57年 倭の奴国(筑紫)の王が金印「漢委奴国王」を授かる。(支配地域は九州北部から朝鮮半島南部まで)『後漢書』
西暦107年 倭国王師升等(歴史書に登場する初の倭国王。初代・倭国王か?)が安帝に拝謁を願う。『後漢書』
西暦107〜187年 70〜80年間、倭国で男性の王の時代が続いた。『三国志』
西暦178〜184年 倭国大乱 『梁書』
西暦181年 ニュージーランドの超巨大火山「タウポ火山」の大噴火
西暦181年 「空が黄色くなり太陽が覆われた。」 「6月に雹が降った。大きさは鳥の卵ほどもあった。」 『後漢書』
西暦182年 「井戸の中が凍ってしまった」異常気象を示す記述は2年続く。 『後漢書』
西暦193年(183年の間違いと思われる) 倭国が大飢饉となり1000人以上が食料を求めて朝鮮半島に渡る。『新羅本記』
西暦184年 飢饉などの影響によって黄巾の乱が勃発(漢の衰退)
西暦184年頃 漢が衰退したことによって「漢委奴国王印」の権威喪失。
西暦184年頃 大飢饉によって人々が神頼みになり巫女の卑弥呼が女王になる。(ここまでの間に首都が筑紫から大和に移った。)
西暦238年 卑弥呼が魏から金印「親魏倭王」を授かる。『三国志』
西暦247年頃 卑弥呼が亡くなる。『三国志』 だから当時の奴が調査できた範囲でしか記述できないんだから
意味ないってw >>113
>邪馬台国畿内説を否定するのは正しいんだけど、
正しくないよw
情弱カルトがいまさら考えを改めることができなくて、暴れまわってるだけ
九州説はオワコン こういうバカスレをすぐ捨てられるような方法があるといいんだけどな 邪馬台国畿内説が破綻したのは、2013年だったな。 韓国政府が応援を実行している、邪馬台国畿内説が嘘だと判明したので、日本国が対馬の領地を防衛できるのでは、ないのかな、、、 記紀にはヤマトと読める文字は一ヶ所の人名のみであり
倭、日本をヤマトと読むのは
平安初期と推測される注釈が書き加えられるのを
待たなければならない。
注釈が加えられるのは通常では、
倭や日本をヤマトと読まないことを示している 天武天皇だったらわざとぼかしそうなポイントだからね 現代の日本人とシナ人朝鮮人のハプログループ
両者は数万年以上遡らないと、共通の祖先に
たどり着けないほどに、遠い
(黒人/白人/黄色人種がまだ分岐した時点か
その前後の古さ)
・日本人のほとんどはY染色体ハプログループD1b
(平均30〜40パーセント)
・中国大陸の民族と朝鮮民族はハプログループO
・日本人に含まれるハプログループO1b2a1(倭人)
・O1b2a1(倭人)は満州民族と朝鮮民族の一部がもつ
O1b2a2と区別される違うもの
(O1b2a1の発生から5000年位遅れて、O1b2a2が生まれている)
・ 古代モンゴリアンとも呼ばれるDは相当に古い時代に分岐発生したグループ
( Oはそれから6万年ほど遅れて発生した新しいグループ)
日本人の主構成 縄文人グループD1b + 倭人グループO1b2a1 チベットとインド東にある島の無文字民族が同系列なんだっけか 『日本書紀』の神宮皇后記には『魏志倭人伝』が引用されてるから
『日本書紀』の著者と『日本書紀』を書かせた天皇は
邪馬台国は奈良と認識していたのは間違いない 〇〇という書物のある部分は正確かもしれないしある部分は間違っているかもしれない 魏志倭人伝の方角は隋書で南が東に修正されてるからなぁ 修正なのか誤写なのか
そんなん言い出したら邪馬壹ではなく邪馬壹だという連中が出て来るぞw
SFとファンタジー・ホラーを一緒にするからこんな非科学的な連中がのさばるんだろうなww 隋書
都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也
首都のヤマトが、魏志の言うところの邪馬台である。
『隋書』が完成した656年には
倭人も大和と邪馬台国は同じ国と認識してたことになるから重要な記述である。 邪馬台国畿内説を5ちゃんねるで宣伝するために、韓国政府が雇用した係員のキナイコシや3寸男が、真実を暴かれたので、焦っているな。。。 落とす気ないのは判るw
どんだけ埋め立てしたいんだよ 落とせるなら落としてもらった方が楽なんだけど、そうも行かないんだろ?
なら、埋めるさ だからさ
潔癖な奴の方が荒らしなんだよ結局は
ここも埋めないで
SFネタの邪馬台国の話にすればいいじゃん
バカ名の埋め立て厨 >>163
>SFネタの邪馬台国の話にすればいいじゃん
誰もそんな話してないじゃん? >>162
SF板にdat落ちの「n日ルール」とかあるの?
土人!
馬鹿どもよ、
邪馬台国の記述は、全部が朝鮮半島だ。
小国がたくさん記述に出て来るのは、朝鮮半島での土人(原始人)の部族名のことだ。
当時の朝鮮半島での領土の境界が地図によって変幻自在してるだろ、
ようするに移動狩猟民の部族だからだ。
世界の歴史地図では、朝鮮半島などはツングース系採集狩猟民の住むところで
文明の範囲外であるので、真っ白の空白地帯となる。
狩猟民は、原生林の中を獲物を求めて部族単位で
移動してたんだ。
で、記述のなかでいろいろと探検していって最後に最南方の邪馬台国に到着だな。
これ、ようするに日本領土だった朝鮮半島南端の任那日本府のあったあたりのことだ。
その、日本大使館か日本総領事館のような砦があった任那では、
原始部族のシャーマンであった卑弥呼が原住民のほうの族長だったということだ。
わかったか、
東北説や全国展開していた説等のネタ的なパターンはSFでよくある >>170
このスレは日本史板、邪馬台国関連スレを荒らしまくる「連続句読点」という「通り名」の人が
迷惑目的だけで立てたスレです
>>126、>>153などが、その「連続句読点」の書き込み
相手にするだけ無駄だよ 〜西暦57年 『魏志倭人伝』によると伊都国(福岡県糸島市)に代々の王がいた。平原遺跡がその遺跡。
西暦57年 漢から金印「漢委奴国王」を授かり、初代・神武天皇誕生。首都は奴国(福岡県)
西暦57年 『新羅本紀』によると倭人が新羅の王になった。(金印「漢委奴国王」の影響力と思われる。)
西暦57〜181年 銅鐸文化の時代(欠史8代の時代)
西暦181年 第10代・崇神天皇。首都は大和(奈良県)
西暦181年 ニュージーランドのタウポ火山の大噴火
西暦181年 『後漢書』によると「空が黄色くなり太陽が覆われた。」 「6月に雹が降った。大きさは鳥の卵ほどもあった。」
西暦182年 『崇神紀』によると倭国の人口の半分が死んだ。
西暦182年 『後漢書』によると「井戸の中が凍ってしまった。」異常気象を示す記述は2年続く。
西暦183年 『崇神紀』によると渟名城入姫命の髪が抜け落ち身体が痩せ細ったので神を祀れなくなった(崇神天皇の娘も餓死寸前)
西暦193年(183年の間違いと思われる) 『新羅本記』によると倭国が大飢饉となり1000人以上が食料を求めて朝鮮半島に渡った。
西暦181〜184年 大噴火の影響で大飢饉が発生。倭国大乱。中国では黄巾の乱が勃発。
西暦184年 奈良でモモソ姫に大物主神を祀らせたら五穀豊穣になった。スーパーヒーローのモモソ姫が女王・卑弥呼になる。新王朝が誕生し、銅鐸文化が消滅。
西暦200〜247年 『魏志倭人伝』によると官のトップは伊支馬(第11代・垂仁天皇、本名は伊久米)
西暦248年 『三国志』によると女王・卑弥呼が亡くなった。
西暦248〜266年 第12代・景行天皇の息子・ヤマトタケルが熊襲(熊本)の討伐に成功。ちょうど吉野ケ里遺跡(熊襲と倭国の国境付近の軍事施設)の衰退時期。
西暦266年 台与が朝貢した。
西暦266〜397年 記録が残ってないのか系譜が途切れたのかわからないが空白期間。大陸は戦国時代で倭もそれに参加して三韓討伐やってたようだ。 (神功皇后の神話時代)
西暦397年 第15代・応神天皇。百済が倭に王子・直支を遣わした。『三国史記』
※学者の間でも応神天皇は新王朝説は有力な説である。
※13〜14代天皇は空白期間を繋ぎ合わせるための架空の天皇と思われる。学者の間でも架空説が有力 畿内説、九州説、東北説、複数説辺りを聞いた事がある 神武天皇が漢委奴国王である証拠もある。
西暦815年に編纂された『新撰姓氏録』には
「神武天皇の兄である稲飯命は新羅王の祖」であると書かれている。
『新羅本紀』によれば、
新羅には朴氏・昔氏・金氏の3姓の王系がある。
そして昔氏の始祖は、西暦57年に新羅の王になった倭人の脱解尼師今である。
※つまり神武天皇と新羅王・脱解尼師今は兄弟である。
西暦57年に脱解尼師今が新羅王になったということは
西暦57年に金印をもらったのは神武天皇である プロパガンダではなく最新の遺伝子解析の定説だよ。
氷河期には中国北部や朝鮮半島は永久氷土に覆われていたので人口は極少だった。
海水面が今よりも100メートル以上低かったので
中国の南(現在は水没している地域)を通って人類は日本にたどり着いた。
中国北部や朝鮮半島は通過してない。
そのため日本人に多いD遺伝子は、中国や朝鮮には存在しない。
氷河期が終わって南から暖かくなるので
人口が増えたのも朝鮮半島よりも南にある日本のほうが早かった。
だから朝鮮半島南部には倭人が住んでた。(人口の多い九州から人口が極小の朝鮮半島に移住した) >>175
どこからプロパガンダが出てきました?
どこかのスレからコピったとか? 流石にSF板だけあって疑似科学w
氷河期に北上するバカはいない
有名な、ベーリング海峡渡って氷河期にアメリカへとかはヨーロッパあたりのボンクラの考える笑い話でしかない
なんせ食料燃料どころか水も入手できないのだから
半島が永久氷土(寸前?)なら残念ながら日本列島も同様だ
ナウマン象やらは別として稲とか人間とか温帯型の生命は温暖な時期に海を渡ったと考えるよりほかはない >>177
アホ。想像でテキトーなこと言うな。
DNAの解析で判明したことだ。 晋書 卷十二 志第二 天文中
景初元年七月,公孫文懿叛。
二年正月,遣宣帝討之。
三年正月,天子崩。
四年三月已巳,太白與月俱加景晝見,月犯太白。占同上。
景初四年、ある。 三年正月に崩御しているなら三年三月はあっても景初四年三月なんてないだろw
よって鏡は紛い物ww
実証と論理と双方無視した狂信は感心しませんねwww >>177
>なんせ食料燃料どころか水も入手できないのだから
そうはいうが、今でもエスキモーの人たちは同じような気候条件下で暮らしてるんだが?
人間は意外な資源を利用しながら、かなりの極限環境でも生きていける そして、Curiosity killed the cat. というが、人間の好奇心は行動の原動力
探検家気質の人間はいつの時代にもいるし、そういう人たちが人間の生活域を広げていったんだ >>180
>三年正月に崩御しているなら三年三月はあっても景初四年三月なんてないだろw
では、なぜ晋書に「景初四年」と記載されているのが、きちんと具体的な根拠を挙げて
論証してくださいね!
晋書に景初四年の記事があるのは「事実」だからね!
がんばれ!、現実に負けるな!ww ベーリンジア移動主張している連中は、北米氷河に阻まれて「温暖なベーリンジア(今は海底なので証拠はないが)で滞在していた人々が絶妙なタイミングで渡った」と信仰心を吐露していたりするんだw
氷河期の冬のベーリンジアは現在の秋の北海道並みに温暖だったらしいww
120m海面低下すると大陸棚が地上に現れるとしよう
7単位面積が海だから120*7単位の水が地表にのらなければならない
陸地が4単位面積に増えていても地上の水の厚さは210mだ
地上にのるためには氷になっていなければならない
体積は膨らむし、低緯度地方では融けてしまうからアラスカシベリアベーリンジアにほとんどの氷があったとしか考えようがない
北米では数kmの厚さと推定されている
現代のエスキモーの生活している温和な環境とは次元が違う
銚子沖から海流を利用してウェストコーストに行く方がずっと楽だよ^^
そうすればショットガンなんて無理な理屈で南米到達考えなくて済むしw ただ、南北アメリカ大陸にいるのはアジア系でポリネシア系ではないのも事実
となると、海流で移動というよりは北回りの方が蓋然性が高いかな?くらいだろ
定住しながらではなく、夏の期間に一気に移動するのでもそれなりの距離は進める >>183
晋書天文史には
単に四年としてしか書いてなくて
直前の説明が青龍二年、青龍三年の話なので
青龍四年を指しているという説があります。 >>186
>直前の説明が青龍二年、青龍三年の話なので
>青龍四年を指しているという説があります。
嘘つきか、事実誤認かどっちだ?
原文
青龍二年十月乙丑,月又犯填星。占同上。戊寅,月犯太白,占曰:「人君死,又為兵。」
景初元年七月,公孫文懿叛。
二年正月,遣宣帝討之。
三年正月,天子崩。
四年三月已巳,太白與月俱加景晝見,月犯太白。占同上。
直前は景初三年で正月に天子崩と書いてあるから、元号は景初で間違いないだろ? >>177
>流石にSF板だけあって疑似科学w
>氷河期に北上するバカはいない
>>177は氷河期の定義を知らないんだろうな
現在もまだ、氷河期の中だよ
大陸氷河が広範囲に存在する期間は氷河期だ
グリーンランドの棚氷がある間は氷河期なんだよ
そして、氷河期の間にも比較的温暖な間氷期はある
短期間の温暖化では、大規模な海水面の上昇はないから、そんなタイミングでの
ベーリング陸橋の踏破は特に問題なく可能だ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています