>>426
>例えばさ、作者が「ゴミ駄作小説」の見本として精一杯の駄作を書いて、万人がそれを「ゴミ駄作小説」と認めたとしよう。
>現実にはそんな酔狂な作者はいないだろうが、不可能なことではない。ならば、これは絶対的な「ゴミ駄作小説」だ。
>そんな絶対的な「ゴミ駄作小説」ですら、「それぞれの価値観だから」で擁護&正当化出来てしまうのは、やはりおかしいよね。

おかしかないと思うよ?
仮に意図的に作家が「最低最悪のゴミ小説」を作ったとしても、もし読み手がそこに面白さや価値を見出しだのなら、
擁護&正当化されてしかるべきだと思う。

意図的に傑作を作ろうとして駄作ができてしまった例が沢山あるように、意図的に駄作を作ろうとして、思わぬ傑作が生まれてしまう可能性もなくはない思うし。
…まあ前者に比べれば、圧倒的に少ないとは思うけど、それでもその可能性を全否定したくないな。



例えば、小説ではない映画の例だけど、タランティーノが手がけた「グラインドハウス」と言う二部作がある。

昔、ボロいポルノ小屋とかで流れてたような、低予算早撮りのどうしょうもないクズ映画を現代に蘇らせるという
コンセプトの作品群で、まさに「意図的に最低最悪のゴミ映画を作ろうとした」例なんだけど、不思議な事に
その中の一作、「デスプルーフ」という作品が、作り手の「クズ映画をあえて作る」という意図を超えて、一部で
「タランティーノ最高傑作」などと評価されるような作品になってしまった。

…なんて例もあるわけだし、小説の世界でも似たような例があるかもしれんよね。