しかしほんと、小松左京の文章の、これ以上ないほど理系的なものを描いてるはずなのに濃密に浮き上がってくる叙情性は、唯一無二だよなあ


 表へとび出し、夜の中を駅へ向かってやみくもに歩きながら、夫は自分の中にとっさに起こった衝動のばかばかしさに気がついて腹をたてていた。――なんでもいいから、どこかをまわって、食料の「買い出し」をして来ようと思ったのだった。
終戦の時、彼は中学四年だった。戦争末期の空襲下の動員中から戦後へかけて、とげとげした顔つきで、教師に殴られないことと、「食べること」しか考えなかった日々の記憶が――
とうの昔に消え失せてしまったと思った記憶が、まだ生きていて、反射的によみがえってきたのが、ふしぎだった。

リュックを背負い、重い体をひきずって、鈴なりの汽車のデッキにぶらさがり、何キロも山奥へ歩いて、父といっしょに農家に卑屈に懇願し、やっとごろごろ重い腐れ芋をリュックにいれて帰り――
お芋だ、お芋だ、今夜はごちそう、とその夜だけはしゃぐ色つやのわるいやせこけた幼い弟妹たちの声と、
自分はいつも皮やらへたばかりこっそり食べて、お母さんはいいの、おなかいっぱい、おまえたちおあがり、と疲れた微笑を浮かべていた母親の、青黒い、栄養失調の明らかな微候の見られる顔が、
その夜だけいそいそとかがやくのを想像しながら、往きよりどすんと重く肩にめりこむリュックに、歯を食いしばりながら夜道を歩き……。

おなかすいたよう……と末の子が、悲しげにいう声が頭の中でした。その声は、戦時中の弟妹たちの声と重なった。……これっぽっち?……何か食べるもんないの?

「やめてくれ!」
 と、彼は闇の中で立ちどまり耳をおさえて叫んだ。――それでわれにかえり、思わずあたりを見まわしたが、全面節電で、常夜灯さえまばらな暗い街路に、人の姿はなかった。

――もう二度と、あの声は聞きたくない。あの悪夢のような時代、地獄のような世界から、長い長い道のりを歩きつづけ、ここ十年、二十年、やっとあのころの夢を見て、汗びっしょりで眼をさまさなくなり、忘れかけていたのに……

また、あれが始まるのか?

あのころのことを思い出すたびに、どんなことがあっても、おれの子供たちは、あんな目にあわせたくないと思っていたのに、今また……。