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『終った時』――老人たちは、大ていこの災厄が終った時のことを考えていた。老人たちは災厄に出あった経験を豊富にもち、それがどんな形で終るか、終ったあと、どんなことになるかも知っていた。
『終った時』――誰しも、この災厄が、いつかは終るものと考えていた。「人類」にとって、災厄というものは、『常に一過性』のものにすぎない、と。

 十三世紀のペストで、ヨーロッパの人口は半分になった。だが、ヨーロッパは生きのこった。スペインかぜで二千万人が死んだ。だが、そんなものは、二十世紀初頭の文明には、かすり傷にすぎなかった。
二つの大戦、地震、大洪水、飢饉……人類は生きのこった。核戦争にさえ生きのこると一部の人々は信じていた。それに、核兵器は、この七月に、全面的に廃棄されるはずなのだ。
――辛抱づよい人々は、「異変」を「日常」になじませることに努力をそそぎ、辛い状況にじっと堪えていた。人々は、こんなひどいかぜはめずらしい。早く流行がおさまって、『もとの世の中』がくればいいが、と話しあった。
長い長い間、千数百年にわたって、小ぢんまりとした「文明」を享受してきた日本の人々は、文明と国土に対する無条件的な信頼があった。

しかし、同時に、文明というものにはある限界点のようなものがあって、崩壊作用がその限界点をこえると、高度に有機化した人間社会をささえる「文明」のあらゆる要素が、今度は逆にことごとく文明の解体の方向に作用することを知らなかった。