前も書いたような気がするが、谷甲州には、小松左京の「個人個人の運命」への叙情性がほとんどないのが致命的だったな

突然の大寒波に襲われて必死で生き延びる男、みたいなの書かせると冒険小説史上でも屈指の筆力なんだけど

故郷を完全に失った日本人の郷愁、これからに生き方についての不安、今いる所を故郷と認識してゆく新しい世代とのギャップ、みたいな
切ない、寂しい、それでいて美しいものは
谷甲州の文章世界にはない

『果てしなき流れの果に』エピローグその2の、徐々に変わってゆく葛城山地や老いてゆく彼女の姿は、谷甲州には描けないのよ

(谷甲州をけなしてるわけではない念のため、作家としての資質が違うって話・・・逆に小松左京には航空宇宙軍史は書けない)