「沈黙」に登場する沢野忠庵はインテリジェンス豊かな高潔な人物であったのに、神の使徒を棄て、かつての「兄弟」を迫害する側に回った……、その歴史上の人物の描写に、平井は注目したと考える。
当時の平井和正は人間の醜さへの好奇心が強く、少なからぬ作品で悪の性向をもつ人間を描いている。
悪に傾く人間、悪に染まる人間、悪を生産する人間。
1962年雑誌掲載の「ロボットは泣かない」にははっきりと人間の邪悪を書き込み、そのころから彼のテーマとして絶対に外せないものとしてあったことが窺える。

悪から回心した千波(お時)が、悪に回心した沢野忠庵と出会うエピソードは読み返すほどに興味深い。
だが、残念ながら(本当に残念ながら)未消化の感は拭えない。
平井和正は沢野忠庵について書き足りないものを感じていたのではなかったか。
なぜ、人は転落するのか。
なぜ、人は悪に向かうのか。
この問いは彼の作品で繰り返される。