>>111
翻訳というのは、訳者の解釈によって文体そのものまで大幅に変わってしまうから、
訳文だけを頼りに(原文を確認せず)作品を語るのはいろいろと無理があるんだよね

たとえば 「ハックルベリーの冒険」 など、訳者の違いでこれだけ訳文が異なる

<村岡花子 訳>

 諸君が 『トム・ソーヤーの冒険』 という本を読んだことがないなら、僕のことは知らないだろう。
だが、そんなことはどうでもいい。
その本はマーク・トウェインさんという人が書いたもので、だいたい、ありのままのことを言っている。

嘘のところもあるにはあるが、大部分はほんとうのことが書いてあるから、問題にしなくていい。
僕の知っているかぎりではだれだってたまには嘘の一つや二つは吐(つ)くもの。

もっとも、ポリー伯母さんと未亡人とメアリは別だけれども。ポリー伯母さんや――ポリー伯母さんと
いうのはトムの伯母さんである――メアリやダグラス未亡人のことはみなその本に書いてあるし、
その本は前にも言ったとおり、少しは嘘もまじっているが、あらかたはほんとうを言っている。

<柴田元幸 訳>

「トム・ソーヤーの冒けん」 てゆう本をよんでない人はおれのこと知らないわけだけど、
それはべつにかまわない。
あれはマーク・トウェインさんてゆう人がつくった本で、まあだいたいはホントのことが書いてある。

ところどころこちょう[#「こちょう」に傍点]したとこもあるけど、だいたいはホントのことが書いてある。
べつにそれくらいなんでもない。だれだってどこかで、一どや二どはウソつくものだから。

まあポリーおばさんとか未ぼう人とか、それとメアリなんかはべつかもしれないけど。ポリーおばさん、
つまりトムのポリーおばさん、あとメアリやダグラス未ぼう人のことも、みんなその本に書いてある。
で、その本は、だいたいはホントのことが書いてあるんだ、さっき言ったとおり、ところどころこちょう
[#「こちょう」に傍点]もあるんだけど。