>>825
いやいや、夏目漱石の作品はけっこう難解だよ

下の「草枕」の冒頭など文章のリズムが良いのですらすら読めてしまうけど、内容をキチンと
理解しようとしたら、比喩や抽象でいろいろと分からない部分が出てくることになる

  住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが
  詩である、画である。あるは音楽と彫刻である。こまかに云えば写さないでもよい。ただまの
  あたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧く。着想を紙に落さぬとも璆鏘(きゅうそう)の音は
  胸裏に起る。丹青は画架に向って塗抹せんでも五彩の絢爛は自(おのず)から心眼に映る。

  ただおのが住む世を、かく観じ得て、霊台方寸のカメラに澆季溷濁(ぎょうきこんだく)の
  俗界を清くうららかに収め得れば足る。

次は「虞美人草」、美文調の文体で描かれた藤尾の登場シーン

  紅(くれない)を弥生に包む昼酣(たけなわ)なるに、春を抽(ぬき)んずる紫の濃き一点を、
  天地(あめつち)の眠れるなかに、鮮やかに滴(した)たらしたるがごとき女である。夢の世を
  夢よりも艶(あでやか)に眺めしむる黒髪を、乱るるなと畳める鬢(びん)の上には、玉虫貝を
  冴々(さえさえ)と菫(すみれ)に刻んで、細き金脚(きんあし)にはっしと打ち込んでいる。

  静かなる昼の、遠き世に心を奪い去らんとするを、黒き眸(ひとみ)のさと動けば、見る人は、
  あなやと我に帰る。半滴(はんてき)のひろがりに、一瞬の短かきを偸(ぬす)んで、疾風の
  威を作(な)すは、春にいて春を制する深き眼(まなこ)である。この瞳を遡(さかのぼ)って、
  魔力の境(きょう)を窮むるとき、桃源に骨を白うして、再び塵寰(じんかん)に帰るを得ず。

  ただの夢ではない。糢糊(もこ)たる夢の大いなるうちに、燦(さん)たる一点の妖星(ようせい)が、
  死ぬるまで我を見よと、紫色の、眉近く逼(せま)るのである。女は紫色の着物を着ている。

  静かなる昼を、静かに栞(しおり)を抽(ぬ)いて、箔(はく)に重き一巻を、女は膝の上に読む。