>>424
> 無重力セックスのシーン

文章では観念的に上手く描写できる場面も、映画で見せると安っぽくなってしまう
そもそも映画の観客は、そんなシーンにはほとんど興味がないんだよね

作家や脚本家が映画を撮ると失敗するのは、文字の世界と映像の世界はまったく
別物だということを実感としてキチンと理解できていない点だと思う

映画会社で育った監督たちは、そのあたりを徹底的に叩きこまれているから失敗が
少ないし、脚本全体を分解しバラバラに撮影しても、あとからジグソーパズルを組み
立てるように、編集で物語の流れを再現することができる

たとえば、訪ねてきた駐在さんが農家の住人と縁側で世間話をするシーン1つでも、
縁側にいる農家の人たちのセリフはスタジオのセットで撮影、訪ねてきた駐在さんの
セリフは津軽富士を背景に入れるため青森のロケで撮影みたいなことを普通にやる

スタジオで撮影した農家の人たちは、駐在さんなどなしでカメラに向かって話しかけ、
青森のロケ先で農家の人たちに話しかける駐在さんは、津軽富士が良く見える原野
にポツンと立たされカメラに話しかけているかも知れない

別々に撮影された両者のカットを編集でつなぐと、あたかも駐在さんと農家の人たち
が縁側で会話しているように見える

もちろんスタジオ撮影のシーンはスタジオでまとめ撮り、青森のロケシーンは青森で
まとめ撮りするため、脚本全体を読んだ人でも、映像のカット割りの仕組みを知らな
い人には、いったいどのシーンを何のために撮影しているのかまるで分からない