>>87
>人類の叡智が極面状態に遭遇したら?っていうSFの定石に慣れすぎてるのかもしれない

関連してこんなブログエントリも見つけた。

「未知との遭遇」の主人公はなぜ電気工なのか?
ttp://woody.south-sign.com/?p=1342

パニックSFでは主人公を俯瞰的視点を持つエリートにした方がストーリーは作りやすいのに
スピルバーグは明らかに意図的に非エリートな主人公にこだわっていると指摘して、その背景を探っているが、
文中では小松左京も紹介されている。

|かつて70年代のSFブームの頃、作家の開高健が「SF小説の主人公には個性的なキャラクターが少ない」と批判をしたことが
|あったのですが、それに対して小松左京は、「人類」や「文明」といった巨視的なテーマを描くSF小説の主人公は
|いわば「人類の代表」なのでフラットなキャラクターの方が良いのだ、という趣旨の反論をしていました。

|この小松左京の反論は説得力があったのですが、確かにSFは、いかにもエリートでしかも余り個性的ではないキャラクターが
|主人公になることが多いのです。それは巨視的なテーマを効果的に語る方法論だったのでしょう。
|しかし、SFが本来的に有する啓蒙思想と相まって、いわゆる「エリート主義」に陥りやすい傾向があるのではないでしょうか。