>>346
日本は、世界中で、畜力→風力・水力の転換が進む中、人力回帰の技術退行があったよ。
李氏朝鮮の使節が驚きまくっ他、そして300年真似できなかった、淀城の揚水水車みたいなもの16世紀には結構普及したけれど、
その後、数を減らして、足踏水車が灌漑揚水の主力になる。水力→人力。
貴人の乗物が、中古=牛車、中世=馬が、17世紀以降、人の担ぐ駕籠。畜力→人力
徳川の外交・貿易政策所謂鎖国で、船舶の大きさの制限。結果、帆走が補助的なものになり、ガレー船時代に逆行。風力→人力
荷物の運搬も、駄馬・牛車・馬車は用いられなくなり、人が担ぐ、もしくは丁稚車を人が曳く形になる。畜力→人力
織機・鍛鉄搭の単純な往復・・紡績・ろくろ等の単純な回転に水力を使わず人力でやっていたものだから、時計やカラクリ人形は作れても
産業革命の前段の、補助動力使用に至らず。
これを何故か日本史の用語では、「勤勉革命」とか言ってる始末。