近年は短篇(掌篇とも)ですら気が向いたときに書くのでそう出ない程度だったと思うけど
やっぱり息子の死なんてあると書かずにいらないくらいになるのかね
作量やたら増えてるように見受けられる
悲しみを昇華させる作業なのかな