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> SFは地の文や独白とかで長々と説明

最近、クラーク「2001年宇宙の旅」を読んで自分もその点が引っかかった
自分はいつも5ちゃんで30〜60行の長文を書いてしまい叩かれることが多いのだけど、そんな自分でさえ、長々とした独白と説明にはうんざりさせられる点が多く、「あぁ、これじゃ今の一般読者には読んでもらえないなぁ」と嘆息してしまった次第
以下は、地上から宇宙ステーションへ向かう長い描写からの抜粋

「あと一分で離昇します」
 いつものとおり、それは一時間のように思えた。フロイドは、巨大な力が周囲に高まり、解き放たれる瞬間を待っているのを痛いほど意識した。この親子飛行体の燃料タンクと発射軌条の動力蓄積システムのなかには、核爆弾一基に相当するエネルギーが封じこめられている。それが彼を地上わずか三百キロの高さに打ち上げるのに消費されるのだ。(中略)

 軌条からいつ離れ、宙に浮かびあがったのかわからない。だが、ロケットの轟音がとつぜん倍も激しくなり、体がクッションにますます深く沈んでゆくことから、下段エンジンが取って換わったのを知った。窓のそとを見られたらと思ったが、首をまわすのさえ一苦労だった。だが不快感はなかった。じっさい、加速による圧迫とエンジンの圧倒的な咆哮は、すばらしい陶酔感を生みだしていた。耳は鳴り、血はわきたち、フロイドは何年かぶりに生きているという実感を味わった。若がえったのだ。大声で歌いたかった。(中略)

 知らぬまに時がたち、圧迫と騒音が不意に弱まって、キャビンのスピーカーから声が流れた。「下段切り離し用意。ようし、行こう」
 軽い揺れがあった。フロイドは唐突に、NASAのどこかのオフィスの壁にかかっていたレオナルド・ダ・ビンチの引用文を思いだした。

    「大いなる鳥」は大いなる鳥の背にのり、空へ飛び立つだろう。
    生まれ故郷の巣に栄光をもたらすために。

 そう、ダ・ビンチのあらゆる夢想を超えて、いま「大いなる鳥」は飛んでいるのだ。そして力をつかいはたした伴侶は、地上へ舞い降りてゆく。一万五千キロの孤を描いて、からっぽの下段は大気中にすべりこみ、速度を距離に換えながらケネディをめざすのだ。(中略)
――それ自身は決して到達することのできない輝く静寂のなかに、つぎの仲間を運びあげるために。(まだまだ続く)