Kindle本で出ている海燕さんの『小説家になろうの風景』では、異世界転生ものが流行る理由について次のように分析している。

日本が右肩上がりの好景気の時代は、多くの人が少年ジャンプのスローガン「努力・友情・勝利」の物語や価値観を信じていた。

  ところが、バブル崩壊とともにその夢は破裂した。それでもその後しばらくは夢の残滓が残っていたが、
  やがて時代は過酷さを増していく。

  最終的な「勝利」を目指すことはどの時代も変わらない。
  なぜなら勝利しなくては生きのびられないからだ。
  しかし、そのためにしゃにむに「努力」すれば良いという方法論はいまとなっては信じられないだろう。
  「努力神話」は崩壊したのだ。

  つまり「なろう小説」が主に「異世界」を舞台とするのは、現実世界においてそのままではどうあがこう
  と「勝利」しようがないという条件を受け入れるからなのだ。

  もとの世界で死んでしまっては、いくら「異世界」で「チート」を手に入れて常勝無敗になったところで
  もはやそこには戻りようがない。つまり「なろう」の読者は「現実世界で恵まれていない人間が異世界
  で経験を積んで成長し、現実世界に帰還する」といった「行きて帰りし物語」を希望していないのだ。
  「なろう小説」はいわば「行きて帰らぬ物語」なのである。

  ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』の読者なら、このような「なろう小説」のありようを堕落だと嘆く
  かも知れない。だが、そのくらい現実への深い絶望があるものと見なければならない。

  これはある意味で『新世紀エヴァンゲリオン』において主人公・碇シンジ少年が戦うことをあきらめて
  しまったことの遥か先にある態度である。あまりにも永く不毛な戦いに疲れ果て、ヒーローであること
  をあきらめてしまった少年たちがもう一度立ち上がるためには「異世界」と「チート」という条件がそろう
  ことが必要だったのだ。