SFマガジン 長山靖生

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
2022/02/28(月) 06:33:15.43ID:9Z8+vyXO0
!extend:on:vvvvv:1000:512
!extend:on:vvvvv:1000:512

SFマガジンで「SFのある文学誌」を連載している長山靖生について考えるスレです

少女漫画板に、萩尾望都の『一度きりの大泉の話』について扱う「大泉スレ」というスレがあるのですが
2021年5月頃から、長山靖生もしくは本人に極めて近い人物(以下、長山氏っぽい人)が書き込みしています

・この人物のレス内容について
・SFマガジンの記事「SFのある文学誌」について

以上の問題点を考えてみましょう
VIPQ2_EXTDAT: default:vvvvv:1000:512:: EXT was configured
2022/02/28(月) 07:19:39.40ID:XV43EG6s0
まず簡単な経緯から

2021年5月…少女漫画板の大泉スレに長山氏っぽい人が光瀬龍氏に関するレスをする
2021年6月…大泉スレに長山氏っぽい人が「竹宮恵子とそのオタ」に対する恫喝めいたレスをする
2021年8月…大泉スレに長山氏っぽい人がSFマガジン10月号の発売日前に宣伝のレスをする、その際に自分が書いたことを仄めかす
2021年8月…SFマガジン10月号発売、長山氏っぽい人の言ったとおりの記事が掲載
2021年12月…SFマガジン2月号発売、竹宮恵子について「(復帰を)阻止した」などとあたかも岡田史子の漫画家への復帰は竹宮恵子一人に原因があるような文章を掲載
2022/02/28(月) 07:21:32.78ID:XV43EG6s0
2021年5月光瀬龍氏に関するレス

973 名前:花と名無しさん[] 投稿日:2021/05/15(土) 06:41:19.83 ID:itR8lGcs0
>>504
それは広瀬ではなく光瀬龍さんですが、光瀬さんから二人にオファーした事実ありません
・1977年時点で、女性漫画家が少年誌でSFを描く土壌はなかった。
「百億」に魅了された萩尾さんが漫画化を希望して人を介して連絡、
萩尾さんの作品を知っていた光瀬さんは「萩尾さんなら……」と喜んで了解。
〈和気藹々のスタートで漫画化された「百億…」は、大ヒットとなった。
当然、本家本元の光瀬の「百億…」も相乗効果で読者が増えた。〉(立川ゆかり『夢をのみ 光瀬龍』)
・「アンドロメダ・ストーリーズ」は、その前に竹宮さんが「地球へ…」第1部後
光瀬さんの「決闘2108年」を漫画化し、その際に竹宮さん側からの話ではなかったかということです
(ただしこれは昨夜連絡を取ったSF研究者、元光瀬ファンクラブ幹部ら複数の推定)。
〈書き下ろしだったために、原稿が到着すると同時に、作業にとりかかるという方法で
連載を繋げていった。話をすべて理解していない状態で書き進めねばならず、
ちょっとした間違いや勘違いが取り返しのつかないことにもなりかねず、
かなりの臨場感に溢れた体験をしたという。〉(同然)
↑「アンドロメダ」の進行は大変だったようで、光瀬先生から愚痴めいたことを聞いた人もいました

現在確認できているのは以上。「アンドロメダ」のオファーについては
SF関係者の間で追調査していきますが、ジル本・大泉本の件と共に
歴史を都合よく捏造したがっている人がいる…という嫌悪を伴って
作家や編集者の間に広まる恐れがあります。
「あれは勘違いだった」と訂正できる人がいたら早めに申告して下さい
2022/02/28(月) 07:22:47.67ID:XV43EG6s0
2021年6月のレス

872 名前:花と名無しさん[] 投稿日:2021/06/30(水) 16:34:11.01 ID:A7hKisJ20 [2/5]
>>855
やめておけ。下手な工作するたびにSF者のあいだで
竹宮恵子とそのオタに対する嫌悪感が深まるばかりだ
SFMは今隔月刊だが次号(8月刊行)に書かれるぞ
2022/02/28(月) 07:23:58.27ID:XV43EG6s0
2021年8月のレス

764 名前:花と名無しさん[] 投稿日:2021/08/06(金) 12:36:36.18 ID:AYLde1q80 [1/3]
「SFマガジン」2021年10月号に「SF少女マンガがはじまった頃」
・大泉サロンという幻想
・概観・初期SF少女マンガ史
・光瀬龍とふたりの女性マンガ家
・「花の24年組」とは何だったのか

777 名前:花と名無しさん[] 投稿日:2021/08/06(金) 13:15:59.95 ID:AYLde1q80 [2/3]
「SF少女マンガがはじまった頃」は某連載の1回分です
ここの皆様には既知の内容と思いますが、事実を重んじ、確認したことのみ記し
極力公平な記述を努めました。誰であれ非難する意図はありません
なお言及引用した作品ははすべて原本初版、初出誌で確認致しました

781 名前:花と名無しさん[] 投稿日:2021/08/06(金) 13:27:16.94 ID:AYLde1q80 [3/3]
>>779
畏れ入ります。連載は毎回40枚上限と決まっているので書き足りず、
また連載主旨を逸脱しない範囲で書きましたので作品論には踏み込めていません
いずれ機会があれば…と思っております。また別の方もそのうち何か
お書きになるのではないかと思います
2022/02/28(月) 07:32:05.35ID:XV43EG6s0
2021年12月のレス

609 名前:花と名無しさん[sage] 投稿日:2021/12/31(金) 14:32:40.37 ID:n4uOUbKK0 [4/17]
本日これより某SF忘年会Zoom上であり、SFMの人もたぶん来ますが
何かここに書いていいことがあったら、聞いてきますね
2022/02/28(月) 16:15:18.72ID:XV43EG6s0
SFマガジン2022年2月号「SFのある文学誌」第80回における問題点
(この回は岡田史子について書かれてます)

【復帰を熱望した萩尾望都、しみじみする江口寿史、阻止した竹宮恵子】より一部抜粋(その1)
 その岡田が1995年に漫画家への再復帰を考え、行動したことがあった。マガジンハウスから創刊された雑誌<COMICアレ!>の新人公募に応募したのである。審査員だった江口寿史は応募作の中に岡田作品を見た時の感慨を次のように記している。

 四時。マガジンハウス。COMICアレ!漫画賞の選考会。70年代<COM>のスター漫画家だった岡田史子が新人にまじって原稿をおくってきていて目を疑った。選考のあと、同じ審査員の竹宮恵子さん、業田良家氏と会食。三人、なんだかしみじみとして帰る。(<COMIC CUE>Vol.2 1996)

 しばらく現場を離れていたとはいえ、江口が書いているように岡田は往時の注目作家で、漫画家や編集者のあいだでは伝説的な存在だった。それが編集者や漫画家のつてを頼らず、応募してくる……。
 岡田が再び漫画を描こうと思うに至ったのは、その二年ほど前に離婚したことが大きかった。生活のためには働かねばならないが、病弱で年齢的に考えても今さら就職するのも難しかった。自分にできることは漫画しかないと心機一転のチャレンジをしたのだが、その前後の出来事を岡田本人が次のように語っている。
2022/02/28(月) 16:15:58.00ID:XV43EG6s0
【復帰を熱望した萩尾望都、しみじみする江口寿史、阻止した竹宮恵子】より一部抜粋(その2)
 自分にできることはマンガを描くことしかなくて、その時『アレ!』が新人公募していたから、仕事としてマンガをやっていこうかと考え30ページのマンガを送ったんです。火曜サスペンス風の、ヤクザと関わりのある女が傷つきつつ強く生きていくという話。選者のひとり、竹宮恵子さんから手紙をいただきまして。
作品自体の出来がよくない。あなたは漫画界の現状を知らなすぎるようですと書いてあった。それでマンガ家への道をあきらめたんです。私のマンガ家生活は、それで終わったんだと思いますね(「岡田史子を忘れるな<特別インタビュー>」(Quick Japan>Vol.17、1997年7月)

 前出のように竹宮恵子は、1970年前後の岡田作品から多大な影響を受けていた。その竹宮が、岡田に私的な勧告をして復帰を阻んだのだった。この手紙の件を、内容も含めて、同じく審査員の江口寿史や業田良家は知っていたのだろうか。応募作不採用は厳正な審査の結果だが、手紙は必要か。またもし
手紙を江口が書いていたなら、あるいはその後の岡田のモチベーションや行動は違っていたのではないか。それを思うと残念でならない。
2022/02/28(月) 17:12:37.70ID:XV43EG6s0
この長山氏の記事(>>7>>8)には大きな問題があると考えます

岡田史子のインタビューの「選者のひとり、竹宮恵子さんから手紙をいただきまして。作品自体の出来がよくない。あなたは漫画界の現状を知らなすぎるようですと書いてあった。それでマンガ家への道をあきらめたんです。私のマンガ家生活は、それで終わったんだと思いますね」
という部分だけで、なぜ長山氏は竹宮恵子が(岡田史子の復帰を)阻止したと言えるのか?
「阻止した」というからには、竹宮恵子自身の強い「阻止したい」という意思が必要であるが、一体どこからそれが読み取れるのだろう?

<参考>goo辞書より 2「阻止」は、自分たちにとって好ましくないことが行われないようにじゃまをしてやめさせること。特に、力でおさえるような場合にいう。

長山氏は岡田史子のインタビューのごく一部を切り取っているが、このインタビューの他の部分を読むと岡田史子が投稿した時点で本当に長山氏の言うように「心機一転のチャレンジ」だったのかとても疑わしい

「マンガを描こうというキッカケになったのは、二年前の離婚なんです。離婚して、一年くらいブラブラして、食い詰めたものですから、どこかにお勤めしようと思ったんですけど、身体が弱くてお勤め出来ない。自分にできることはマンガを描くことしかなくて、その時『アレ!』が新人賞を公募していたから、仕事としてマンガをやっていこうかと考え、30ページのマンガを送ったんです。火曜サスペンス風の、ヤクザと関わりのある女が傷つきつつ強く生きていくという話を」
「私、高校生の頃から実存主義に走りまして。なんか人生の不条理っていうんですか、そういう問題に対して問いかけるっていうか、そういうことがマンガを描くきっかけになることがありましたね。生きていくって、どうしてこんなに大変なんでしょうか? っていうような問いかけを。今は、それを神様に問いかけてるから、マンガを描く必要がなくなってしまったんです。」
(Quick Japan>Vol.17、1997年7月)(インタビュー日 1996年7月)
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
5ちゃんねるの広告が気に入らない場合は、こちらをクリックしてください。

ニューススポーツなんでも実況