90年代当時では、同和教育や日教組の影響も強く、過去の日本を必要以上に否定する「自虐史観」が強かったのも事実だから、少なくとも初期は、左翼に反撃して、意見を調整する意味もあった。ただ、そういう目的も大体達成されて意味を失っても同じことを言い続けてるのが問題。2010年ごろから、小林が巣コリ左寄りになったのはよかったと思う。

イギリスの歴史家のアーヴィングが、最初は、ヒトラー一人に罪をかぶせるのに反対だったのが、ネオナチに引きずられて極端になったのと対照的。小林には、自己を調整する器量があった。