元横綱・日馬富士の暴行事件を巡って、相撲協会の対応に注目が集まっている。
なかには「日馬富士がかわいそうだ」と考える人がいるかもしれない。だが、人事コンサルタントの新井健一氏は、「相撲協会のガバナンス不全が目につく」としたうえで、「日馬富士に同情する人は非常に危険だ」という。どこに問題があるのか――。

法令遵守を最優先するのは当然

連日マスメディアを賑わせている「貴ノ岩暴行事件」。もはや解説は不要だろう。
日本相撲協会を取り仕切る一部の理事、横綱と、貴乃花親方が真っ向から対立している。
本来であれば、互いに協調し、なにより組織的に対応しなければならないはずだが、そうなっていない。

この事件を人事コンサルタントとして眺めたときに、筆者はある種の違和感を覚えつつ、また別の観点からは日本企業にも大いに通ずる“病巣”を見て取ることができる。

まず、事件をコンプライアンスという観点から整理してみたい。貴乃花親方は弟子のケガを見とめてすぐ警察に駆け込んだ。
これは正しい。どう話をこねくり回そうと、法令順守は組織内のルールやマニュアルに優先して当然であり、その逆はあってはならない。

だがその後、同親方が協会からの出頭要請に応じず、危機管理部長の鏡山親方(元関脇多賀竜)の訪問も無視しているという。これは明らかに協会に対する背任行為である。

これらの問題の原因は、相撲協会のガバナンス不全に求めることができるだろう。企業でコンプライアンス教育を受けたビジネスパーソンの目線からすれば、暴行したら捕まる、
その上で組織人としての対応に不備があれば背任行為だ、とシンプルに認識できる。なぜこれ程までにややこしく揉めるのだろうと、不思議に思うはずだ。

相撲協会という不思議な組織

ガバナンス不全の真因は、力士(元力士)が協会運営のすべてを取り仕切っていることにある。
協会は、いわば三権分立を謳う日本国にある独裁国家だ。
つまり、「行政組織」を適切にチェックする機能がない。そして、独裁の頂点には、相撲部屋を取り仕切る親方衆や元横綱がいる。
2008年に暴行死事件が起きたのを契機に外部からも監事が登用されたが、一般的な企業に比べて規制力が低いのは、今回の事件を見ても明らかだ。

そもそも、公益法人である相撲協会では、理事が経営責任をとることもない。部屋間の移籍もなく、年寄りまでのキャリア形成が一直線で、流動性は一切ない。「それが伝統だ」と言われるかもしれないが、現代では考えられない、固定化された内向きの組織で、外の社会と折り合いをつけるのはますます難しくなっていく。

(中略)

日本企業の人事は、これらの3要素、特に(2)を中心に高めるよう、企業組織に“疑似家族”の要素を持ちこんだ。

具体的には、日本が奇跡的な経済復興・成長をけん引した人事施策、

「終身雇用制度」
「年功序列型賃金」
「企業内組合」

という三種の神器、施策の存在である。

日本は戦後、経済を立て直すため、働き手を大量にかき集めてずっと雇用していくことを続けた。これは当時の日本企業における最重要の人事施策であり、
政府も傾斜生産方式(当時の国家にとって最重要な産業に対して、集中的に経営資源を融通すること)の採用によって後押しした。


そうして戦後の日本企業は、経済による復興を成し遂げる過程で、組織内の個人を集団の中心へと引き付ける力をますます強化していったのである。

「集団凝集性」の高さが強みから弱みに

だが、いま日本企業は折り返し地点にいる。そして、かつて日本企業の強みだった“集団凝集性の高さ”が弱みに逆転しつつある。たとえば昨今、次々と明るみにでている不祥事の背景には、“集団凝集性の高さ”が影響している。

クレーム電話を例に考えてみよう。集団凝集性の高い企業では、たった一本のクレーム電話を受けただけで、「内」と「外」という強固な城壁を瞬時に立ち上げる。自動的に防衛反応のスイッチが入るのだ。

ちなみに、内は同じ組織で“同じ釜の飯を食ってきた”家族的社員、外は(本来であれば最重要視すべき)消費者、取引先などの利害関係者である。