デスティニープラン=共産主義・全体主義・独裁政治とよく言われるけど

結局、今の日本の流れを観ていると
強力な独裁者に支配されたがってる、権力による支配を甘んじて受け入れたがってる奴らって
特に貧困層と若者に増えてるように思う

自分の頭で考えて、自分の力で生きる事が必要になる自由主義と民主主義より
競争に疲れていわゆる「負け組」になった側は
強力な権力によって生き方を決められ、自分の頭と努力で人生を切り開く必要がなく
社会の歯車として最低限の存在価値は認められる代わりに、全体主義の中で権力者に依存して安心を得ようとしてる

全体主義に寄って統制され、自由な生き方を決めることよりみんなと足並みを揃える同調圧力が正しいとされ
空気を読む事が至上となり、言論にも制限と制約がかけられ、身の振り方や行動や思想の自由にも一定の制限が出来る
そこに異を唱える事が悪とされ、反論や反対意見はテロリズムや反体制思想と一緒くたにされ
黙殺され封殺される
まさに日本列島全土の村社会化、隣組的監視社会化の完成で、封建社会への先祖帰り現象

重戦機エルガイムではデスティニープランと同じ事を既に実行済で世界を裏から支配していた戦争商人アマンダラ=真のポセイダルは
「私の予定した以上の行動をとらなければ、君も面白おかしい気楽な人生が歩めたものを」とダバに迫り
主人公のダバは「他人の敷いたレールに自分の人生の筋道を決められて、何が面白い人生なものか!」と反抗して自由を得たけど

今の時代って、ダバのように強い意思で自分で自分の生き方を自己責任で決められる若者って減ってて共感出来ないんじゃないだろうか
むしろ、アマンダラに「私が決めた通りに行動すれば勝ち組にしてやろう」って誘惑されたら、乗っちゃう若者が多数派なんじゃないか

そして違和感を感じるのは、自己責任ってダバのような自分の意志で自由に生きる風来坊、アウトローの生き方だからなのに
周りと意見を合わせなければ、自分の反対意見を言ったら反体制になる同調圧力の世の中で何かあるとすぐ自己責任論になるところ
同調を求めるならば、社会や周りに合わせて社会の決定に従うことを求めるなら、そこで起きた社会問題は社会全体のみんなの責任であって、
連帯責任でしょう

結局、自由主義で人生上手くいってた側がだんだん数が減っていって社会の中で少数派の富裕層だけになり
自由主義では人生上手くいかない、あるいはいかなくなった人が貧困層の拡大で増え続けて多数派に周り
いわゆる勝ち組が負け組に数で劣るようになったから、民主主義と自由主義の両立に限界が来て
民主主義の多数決の原則に法って多数派になってしまった貧困層の自由を否定する全体主義・共産主義化を止められなくなってるのだろうけど

社会が今正にデスティニープランと同じ方向へ動こうとしてるというか
ナチス政権成立直前のワイマール共和国時代の再来のようになっているように感じる