それでも、メドヴェージェワ選手の場合には、あれだけ細かく演劇的な演技を付けているにも拘らず、《アンナ・カレーニナ》にしても、《タイスの瞑想曲》にしても、プログラム全体として、ヒロインの性格が明確に印象付けられませんよね。
あえて言えば、メドヴェージェワ選手は、「艶っぽいしなを作る」のは上手なのです。 但し、それが音楽と有機的に結びついていない。尚且つ、個々の作品固有のヒロイン像にならずに、どのプログラムでもほぼ同じ。ですから、昨春から約1年、観続けていると、
私などは飽きてくる。成長が見受けられない。(昨春の世界選手権以前は、そもそもその段階にも達していなかったので、最初からノーカウントです。) それは、「音楽の解釈」としては失敗なのではないかな? と。

ですから、《タイスの瞑想曲》に関しては、私は、メドヴェージェワ選手の演技より、三原選手が今年のファンタジー・オン・アイスで演じたものの方が好き、と書きました。
私は、日本人選手達には、スケーティングやジャンプ、スピンなどの技そのものが表現手段になり、そうしたところから、
自然にヒロインの性格が彷彿とするような演技を目指してほしいと思います。 テレビドラマならいざ知らず、音楽が重要な役割を持つオペラやバレエなら、それは至極当然のこと。
メドヴェージェワ選手が世界選手権を連覇して「絶対女王」でいられたのは、そうした正攻法の表現で、彼女を脅かすほどの選手が今までいなかったからでは? そのあたりが、ジャッジにどう評価されるのか、興味があります。