【さて、影男とモナーとが、同じ俳優が演じた二つの配役、つまり同じ人物の二つの側面だとすると、
この二つを統合した新しい名前が必要となる。仮に『モナ男』としておこう。この「モナ男」は、現世で
なつみを「殺害」した直後、自らもなつみとほぼ同時に冥界に行った、つまり「死んだ」ことになる。
真っ先に思い浮かぶのが「無理心中」であろうが、通常の無理心中と解すると腑に落ちない所がある。
先に第二幕、すなわち冥界でのモナー改めモナ男の配役が「閻魔大王」であると推測した。それは、
モナ男の装束と立居振舞から、その冥界での地位の高さが見受けられたからであったが、通常の
人間が、あるいは通常ではない人間だったとしても、死んでいきなりそんな高い地位に就けるとするのは
不自然に感ずる。それよりは、なつみ「殺害」の以前から『既に閻魔大王であった』と解するのが自然で
ある。つまり、「閻魔大王が直々に現世に出現して、なつみを冥界に連れ去っていった」のではないか。
このように考えると、今まで述べてきた説との関連上、色々と都合の良い所がある。まず1つ目は現世と
冥界、それぞれ聖書的世界と仏教的世界の2つに引き離さざるを得なかった物語を、再統合する希望が
生まれたことである。他殺説では今まで満たされなかった、「犯人が出演し続けることによる一貫性」、
これが満たされたことにもなる。2つ目は、処女懐胎説からの帰結の一つ、「影男が超常的な力を持つ」
であろうこと、これも冥界の王、「閻魔大王」であると解すれば自然に満たされる。
もちろん、都合の悪い所もある。「閻魔大王が現世に出現する」という話が、仏教的世界にも聖書的世界
にも見当たらないことである。また、聖書的世界である現世に「閻魔大王」が突如出現するのも、唐突で
ある。神と仏とが相争うが如き、この話全体を解釈し直すための何か上手い方法が必要だと思われる。

ここで新たな世界観を提案したい。「ギリシャ(ローマ)神話」である。これで全体的な解釈を試みたい。】