とにかく、標識の「二死」とか「23:36着」とか英語で無いことが明らかなものを
除いては、「全て」を英語(=悪魔の言葉)で解釈する必要があると考えます。
殊に、我々日本語圏内にいる者たちは、本来英語で解釈すべきものでさえも、
ついつい日本語に引き直して、すなわち『翻訳』して解釈してしまう傾向が
あります。「それは本来日本語であったのか」、気を付けなければなりません。
といっても、それが全てではありませんが。ただ、何かを発見するためには、
一時的にせよ何らかの「縛り」が必要であることも事実と考えます。

と、今日はここまでにいたします。相変わらず眠いです。おやすみです。