>「ロシア民謡・カチューシャ( Катюша、katyusha)」

高速の変化球のようで、受け止められないー。きっとかなりの労苦を背負って、贈ってくださった言葉なのに。無知なわたしを許してください。

あー、テトリスの曲ダー。ってのがわたしの第一印象。もうね、そこから、教養のなさを察してください。
このメロディーの中毒性は、わたしも含め沢山の日本人が、古びた旅館の遊技場とかで経験していると思う。

ドラムのようなビートが気持ちいい。胸に響いてきた。踊りたく。
何かの本にあった、ダンスの輪に入らないで外から聞いたオクラホマミキサーって、もうどうしようもなく物悲しいって言葉を連想しました。
歌になると濁音が雰囲気を作っていて、言語や声は一種の楽器なんだと改めて思う。想い出にまた一つ色が加わりました。ありがとう!

歌詞はふむふむ、解釈によってそんなに変わってしまうものなんですね。
創作物は、作り手と受け手の相互作用で意味をなすと捉えていただけに、新鮮な驚きでした。
「作り手」、「受け手」、の間にある「訳者」、「仲介者」によって如何様にも変化する。きっとそれはFlashを含めあらゆるものについて回るものなんだろうな。
ロシア語がさっぱりで、知識欲の薄いわたしは、ベテランさんの紹介に大きく依存してしまう。
それは今、此処になき(無き? 亡き?)作者が直接伝えられないジレンマでもあって、
こうした歌が時や場所を超え広がっていくのに欠くことの出来ない要素なのかも。

戦地に向けた恋人への歌。そして実際ドイツ軍との戦闘でも愛唱された歌。カチューシャは、兵器の名にも使われた。
ちょっとゾクリと来ました。湧き上がる群衆に、国旗に、軍服。
長い長い熱戦と冷戦の時代。危うい時代だったと思います。この歌が幾つかの感慨とともに、穏やかな時に歌われたことに、胸をなでおろします。

>「愛」というものは、寒風にさらされてこそ真実の輝きを示すものではないでしょうか。
強く、勇敢な言葉だと思います。その言葉を大切にしてください。愛も真実もわたしは信じられなくなっちまったんだぜ。ローラ!