「素敵詩的すくりぷと」の終盤に流れる歌って?
ホンさんのFlash、素敵詩的すくりぷと ttp://www.geocities.co.jp/Milano-Cat/4036/shiteki_02.html 以前、「win限定、音入りバージョン」というのがあって ttp://web.archive.org/web/20050125090311/http://www.geocities.co.jp/Milano-Cat/4036/shiteki_02.html そこには、最後の方で、洋楽(?)の歌が流れていました。ハーイハイとか言ってたかな? とにかく、幸せを音にするとこんな感じになるのかなぁ、と思うくらいに心温まる歌でした。 今は聞くことが出来ません。 無くなってしまった。 誰か歌名や歌手名を知っている方、どうか教えてください。 「端ノ向フ」を観てみました。 なるほど、弥栄堂の塚原氏の作品だったんですね。 また新たな作品を知ることが出来てありがたいです。 クオリティ高いCG技術や描写が生み出している重みがある独特の空気感。 「ウシガエル」からの歳月の重みを感じる作品でした。 FLASHの技術と表現方法はここまで進歩したのか、というなんとも感慨深いものがあります。 ストーリーも、作中で一から十まで説明するのではなく、 かつ「主題」に関してであれば、よくよく考えると話がつながってくる塩梅というのは、さすがの一言ですね。 ホラーは苦手ですが、ここまでの描写なら何とか耐えられました。 星新一の「ボッコちゃん」的な、無性に心の奥底がザワザワ、ゾクゾクっと来る感触。 それを久しぶりに感じることが出来ました。舞台設定的にも、暑い夏の夜に合う。 塚原氏の作品は、色々とさすがとしか言いようがないですね。 凄いですよね! ウシガエルも凄いけど、それから何年も経って、こういう作品を出してくる。 表現はより多彩に、根っこは保ちつつ。 特にネットでは、トップランナーで、い続けるってのは凄く貴重だと思う。 blog、mixi、twitter、lineと、ほんと興滅が激しい中で。 特に人物の描き方が自然で柔らかくなっていて。声優のチョイスもほんと巧み。うん、凄い。 「継続は力なり」といいますが、塚原氏ぐらい継続するとやはり一つの境地に至るのでしょうね。 これからも続けて走り続けて欲しいですね。 さて「動画文化」についてですが。 なんだろう、まず「動画」のメインカルチャーというのを考えたとき、 それは「テレビ」なのだろうと思います。 そして、それでまかないきれない需要が潜在的に多く存在したために、 サブとしてのFLASH文化が、個人にパソコンの普及が進んだ2000年代初頭に花開いた。 自分はそう捉えています。 日刊氏がいう「灰色や黒としての楽しみ方」も、私なりの「一つの世界、コンテンツとしての楽しみ方」も、 おそらくはその範疇に入れることができるのではないかな、と思います。 そこで、情報を次々と消費していく「情報の大量消費社会」の現状において、 「動画文化」は、その役割を終えかけているということが言えるのではないでしょうか。 それは、「動画が面白い」「動画で楽しむ」という「情報」が、既に一般的な人々の中で消費されてしまったからではないかと私は考えます。 テレビを見る人が少なくなっていく。本や新聞を読む人が少なくなっていく。 頻繁に更新するブログやmixiが少なくなっていく。家庭用ゲームが売れなくなっていく。 ここら辺は、そうなっているものもありますし、自分の予想でもあります。 まあ、原因はインターネットの進歩、そして現在は携帯電話の進歩が大きなものであると考えられますね。 要するに、情報に接する手段は動画に限らずいろいろ移り変わっており、その流れの一部分として「動画文化」も流されようとしている。 何となく、ゲーム業界と重ね合わせると今の「PS3」や「Wii U」の現状とかぶる気がします。 「別にそれ、面白そうじゃないじゃん?」と言われたら、返す言葉がないというか。 また、他人にやってもらって(見てもらって)「で、これのどこが面白いの?」と言われると説明に困る部分があったりする。 現在の飽和した作品群は興味を持ってもらえず、たとえその作品に触れても理解してもらえない。 サブカルチャーにおける動画文化は、そういう状況に直面しているといえるのではないでしょうか。 そして2000年代後半にはFLASHは衰退し、ニコニコが流行りました。 しかしそのニコニコですらも、すでに大体の創作形態は出尽くしたといえます。 つまりは強力な推進力を失った船のようなもので、 「動画を見ることが面白い」という文化自体の潮流に抗えるだけの力はもはや失ったとみていいでしょう。 御三家以外も、もはやミリオン再生は相当少なくなったのではないでしょうか。 なんていうのかなあ、結局は、 制作側は「動画作りって別に面白くもない気がしてきた」「労力に合わない」 視聴者側は「別に、動画って生活になくても困らない」「そもそも動画って何か知らない」 という「無関心」層が増えたわけです。 「好きの反対は嫌いではなくて無関心」というのを、地でいく流れですよね。 「動画」は生活必需品でないわけですから、この「無関心」を何とかしなくては「動画文化」そのものの浮上はありえない。 客観的になっているかわかりませんが、なるべく広い視野で「動画文化」について考えるとすれば、そこにたどり着くのだと思います。 ですから「別にこのままでいい」「ひっそり自分がやれればいい」という人が多ければ、ニコニコにしても、このままゆっくりと消滅の流れをたどるでしょうね。 何か新たに「これは面白い!」というコンテンツが生まれ、情報の流れが作り出されば別ですが。 まあ、文化的な消滅が悪いということではありません。 文化としては消滅しても、そのもの自体がなくなるわけではありませんから。 そうしたら、楽しめる人だけが楽しむようになる。それだけのことなのでしょう。 つまり、現時点で視える展望としては楽観でも悲観でもなく。 「そうなっていくんだろうな」というある種の諦念が入った文化的消滅の未来です。 もちろんこの世から完全に消滅するかどうかというと「しないんだろうな」とも思いますが。 しかし、今より縮小することは社会的な現状の流れから言って確実でしょう。 かつていわゆる「文化としてのFLASH」を消滅させないために、 FLASHは「サブカルチャー」から「メインカルチャー」の移行を図りました。 しかし「サブカルチャー」はその性質上「カウンターカルチャー」とも呼ばれるように、 「メインカルチャー」に対抗する性質を根底に持った文化です。 そう簡単に受け入れてもらえるはずはありませんでした。 ニコニコにおいては、初音ミクは「かわいいキャラクター」としてはメインカルチャーと若干馴染んだ感はあります。 「汎用性の高い、かわいいキャラ」という立ち位置で、ファミリーマートとコラボしたのはそこそこうまくいったと思います。 しかし、歌に関しては若い世代でさえ好みが相当分かれますからね。みんなミクの歌が好きかというと、そうでもない。 ただ歌業界も衰退しているので、ある程度カンフル剤的に使われはするでしょうが、ブームの域は出ない気がします。 では、その衰退に面した文化は、この先生きのこるにはどうすればいいのか。 たとえば、もっとメインカルチャーとの親和性を高めたコンテンツが出来れば、それは生きのこれるかもしれません。 FLASHも、たとえば鷹の爪団は、辛うじてメインに食い込んだ・・・いや、まあ見方によりますが・・・気がします。 おそらく「独特の世界観を持った、汎用性を持つ宣伝媒体」として存在意義を得たのでしょう。 要するに「汎用性、一般性を持つ」もしくは「社会に対し有意義な効果が認められる」ものであれば、 場合によってはメインと親和出来るやもしれないということです。 この参考になるのは、「ニンテンドーDS」です。端的に言えば「脳トレ」ブームです。 これは、「脳トレ」の超大ヒットにより「ニンテンドーDSそのものが社会的に認められそうになった」時期が一時期ありました。 具体的には「脳トレ」や「もっと脳トレ」の累計は500万本を越えるという、社会現象として認められるところまでいったのはなぜか。 それは「しょせんゲーム」が「社会的携帯ツール」になりえる条件がそろっていたからです。 「頭が良くなる」というのは「社会の役に立つ」ということですし、 「子ども」だけでなく、「大人」も有用だとする「汎用性」があるということですよね。 「社会から『必要な存在』だと一般人から認められる」ことによってはじめて、 「サブカルチャー」は「メインカルチャー」の一部となりえるのです。 塾などでも英単語練習などに取り入れられ始めるなど、本当に当時はメインカルチャーの一部となりかけていたんですよね。 しかし、任天堂はそのチャンスを生かしきれなかった。 その地位を守るための後続をフォローし切れなかったんです。 「えいご漬け」あたりまではよかったのですが、後は社会的責任を放棄したといってもいい。 「責任」というのは多少言い過ぎかもしれませんが、 ニンテンドーDSを買った「メインカルチャーの担い手」の興味は当然一気に離れていった。 その結果「しょせんゲームはゲーム」というサブカルチャーのレベルに落ち込み、3DSの絶不調に到ります。 そりゃ「メインカルチャー」の人びとは買い換えません。必要性を感じるわけがない。 「ニンテンドーDSは社会的なインフラとして必要だ」という空気が偶然出来ていたのに、それを手放してしまった。 結局「動画文化」がもし「メインカルチャー」と共存する方向に行きたいのならば、 「一般性・汎用性があり、社会貢献になる動画」が何かのきっかけで脚光を浴び、 それに対して十分なフォローが継続的になされる状況」が創り出されなければならないということになります。 頑張ってほしいですね! そこで、「メインカルチャー」との共存をあきらめ、 あくまでもサブカルチャー内部での生き残りを図るならば。 そこには「継続的なコミュニケーションがなされる環境」が保持されなければなりません。 各々が全く個別に行為する状況では、社会の中では文化的に消滅しているということですので。 「動画文化」という視点からは最低二人以上のコミュニティが複数形成されることが必要であるわけです。 そこで、だれとだれがコミュニケーションするのか? もちろん、それは「観客」と「制作者」です。 そこで観客同士のコミュニケーションでブレイクスルーを成し遂げたのが、FLASHに対するニコニコであるといえます。 しかし、もはやそれすら新鮮味はなくなってきているわけなんですけどね。 まあ、FLASH制作者同士のオフ会は開かれてきているようで、その日記などを見るとこれからに希望が持てます。 どちらにせよ「動画は面白い」という観念を共有できる場が必要になります。 まとまりが小さくなった分、「密度」「質」の面で保てなければ、そのまとまりは容易に飛散しますからね。 改めて書きますが、もちろん飛散したから即ダメということではないのです。 個人レベルになり「文化」を捨てることで、かえって「動画」そのものの存続につながるという、 ある意味逆説的な考え方も、決して捨てたものではない。 ピンチの時は発想を逆転させるのよ、なるほど君。 近代社会に押しつぶされ、現代社会に居心地の悪さを感じるならば。 そもそも「社会」「文化」というしがらみを避けるというのも、一つの道ですからね。 個人的な意見はこれまで紅白スレにも書いてきた通りだけれど、 「文化」の行方は、その直接の担い手こそが決めるもの。 私は、ふと緑が生い茂る山の頂上に登り、そこから見えた景色を呟くのみです。 あああああ! もう、なんつーか、これほど真摯な分析には20%も対応できねーっす。 超過疎スレだけど、誰かフォローして、議論を深めてくれーって切に願います。 頭の悪い半端人は。 先生、そもそも文化ってなんすか? 耕すんっすか? 程度しか。 読み飛ばしても、無問題です。 >そして、それでまかないきれない需要が潜在的に多く存在したために、 >サブとしてのFLASH文化が、個人にパソコンの普及が進んだ2000年代初頭に花開いた。 その前提には、激しく同意します。 NOVAウサギやムネオハウスみたいな、ワイドショーな話題の本気な悪ふざけ。 吉野家コピペのゴルゴやタシロみたいな、2chと一体となった時事ネタ。歌モノや、パロディーアニメ作品。キ8ンデキ8ンディやドラわさび。 風刺や毒や皮肉を、笑いや感動に持っていくみたいな。 Flash全盛期とニコニコへの移行の間にちょっと目を移すと。 実はこれらは「オリジナリティ」が無い「クリエイティブ」が無いと、Flash板内で叩かれまくった気がします。 余りにひどかったため、自分はこれらの言葉に、未だ拒否反応が。 著作権の関係でFlash紅白には参加できず、アンチスレではアウトカーストに位置づけられ。ちょうどJASRAC爆撃も重なり。 何時の間にか、なんでもありなフリーダムな空気が消え、妙な緊張感が生まれて、それで人が離れていったような気もします。 >「無関心」を何とかしなくては ここは大きな課題ですね。アスキーアートとかテキストサイトも、これが一番問題になっている気がします。 時は経ち、greeや韓流は現時点ですげー嫌われてますが、徐々に無関心になっていくのかな。 表面上のブームを再興するならオグリキャップ以後に対するディープインパクトみたいな劇薬も必要でしょう。 でも、それも一時的なもので。 スターとかメガヒットとかじゃなく、地味でも丁寧なものを作る人を一人でも沢山加えるのが遠回りでも近道な気がします。 スターそのものよりも、そのスターに憧れて入っていった新人、中堅層のような。 >ミクの声 あー、はい、自分は馴染まない方です。 あとですね。ちょっと悩んだんですが。 >「一般性・汎用性があり、社会貢献になる動画」 >FLASH制作者同士のオフ会 >「密度」「質」の面で保てなければ ってのは自分には馴染まないなー。えー、そんなの文化のために必要なノー? ノー。 Oh No! って。 何でかはわからないけど。個人的なスタンスですが、自分と作者が共感できたり、刺激を与え合う、それだけでいいなって思ってるからかな? それとゲームの話が出たので。わたしゃ、ゲームには熱くなりますよ。 「ゲームの楽しさ=グラフィックの向上」、みたいな感じがFF7以来あって。(FFシリーズ全般にもそーゆーの有るかも) そういう進歩は分かりやすく、見栄えがしますよね。 写真撮って、映画みたいなムービーを流して、受け手に伝えれば、すげーって言ってくれるんだから。 ただ、今はそういうのが当たり前になってしまい、ゲームの面白さと直結しないとユーザーも分かり始めてしまったような。 だから大変ですよね。面白さを伝えるってのは。 Flashやニコニコはどうなんだろ? 今のところプロ並みの映像でスゲー、ハイレベルのセンスと技術でスゲー、っていうのは確かに残ってるだろうけど、 それだけじゃイクナイ! っていう分岐点あたりでウロウロしている気がします。 ゲームのプロモーションは任天堂、頑張ってるんじゃないかな。 ピクミン1は「愛の歌」っていうCMソングで一気に認知されましたが。 ttp://www.youtube.com/watch?v=BLO5eN855bE ピクミン3はゲームの面白さをたくさんの人にどうやって伝えようか? って視線でプロモートをしていると思います。 ttp://www.youtube.com/watch?v=VGFymces-AM ゲーム天国なSONYは良くわかりませんが。何かGreeは末期っぽい。 >「しょせんゲームはゲーム」。 これは、珍しく、失言だと思う。(ゴメンネ) ゲームはゲームで、いいんじゃないかな? 少なくとも個人談として、「moon」とか「Tactics ogre」とか「クロノトリガー」とか人生観すら変えてしまうゲームってあります。 どれもゲームだから、印象に残る工夫に富んでます。 ゲームだから出来る驚きのギミック、ゲームだから生まれる重厚な世界観と操作ミスで失われるかもしれない命の尊さの併存、 ゲームだから入っていける中世ファンタジーと、退廃した未来と、空に浮かぶ古代文明、を一つの作品内で繋げる凄じさ。 最近はどうぶつの森が400万以上セールスを記録し、今でも売れ続け、2chの各板で話題になり続けたり。 というかこれ、社会現象として騒がないマスコミの方が不自然。このゲームは書籍というメインカルチャーにもがっちり食い込んでます。 ttp://www.nippan.co.jp/ranking/yearly.html 1位2位があれだけ騒がれたのに、3、8、12、15位は異常なほどに無視されてる。 でも、それで良いんだと思います。こんな分厚い本を買って、活用している人が沢山いる。ゲームはゲーム。 えと、ですね。3DSでの当初の失速、高価格、震災という事件、ソフトが揃わないっていうのを反面教師にするより、 値下げ、カンファレンス、マリオ・マリオカート・モンハンの三本の矢といった怒涛の逆襲劇を参考にしたほうが楽しいと思います。 逆転裁判5、欲しい。値段がお手ごろだったので、レイトンVS逆転裁判を買ってしまった。 これだけの分量をちゃんと読んでくれる日刊氏は偉い。 ちなみに最近のチラシって両面印刷で裏がなかったりするんですよね。 我ながら書けば書くほど凡人さが際立つので自分にうんざりしていますが、 2chという裏紙が残っている内には、私も色々書いておきたいことはあるのです。 >実はこれらは「オリジナリティ」が無い「クリエイティブ」が無いと、Flash板内で叩かれまくった気がします。 >余りにひどかったため、自分はこれらの言葉に、未だ拒否反応が。 なるほど、それは興味深い。 私はそれに関しては中立ですが、気持ちとしては分かります。 >スターとかメガヒットとかじゃなく、地味でも丁寧なものを作る人を一人でも沢山加えるのが遠回りでも近道な気がします。 >スターそのものよりも、そのスターに憧れて入っていった新人、中堅層のような。 その新人や中堅層が、伸び悩んだり評価されなくてがっかりし、撤退するというのが今の状況ではないかと思います。 地味でも丁寧なものをつくり、かつ評価されなくても作り続けられるとなる職人さんはそう簡単には増えないでしょう・・・。 >FLASH制作者同士のオフ会 >「密度」「質」の面で保てなければ > ってのは自分には馴染まないなー。えー、そんなの文化のために必要なノー? そうですね。 私はハーバーマスが論じる「コミュニケイション的行為」「対話的理性」や、 それが発揮される「公共圏」的なものに憧れるというか重視するスタンスなので。 「人の集まり」に重きを置いていることは間違いないです。 ただ、それを絶対化まですることはしません。 >「しょせんゲームはゲーム」。 >これは、珍しく、失言だと思う。(ゴメンネ) >ゲームはゲームで、いいんじゃないかな? 実際、ゲームが好きな人にはそれなりに逆鱗に触れる言葉でしょう。 日刊氏がこの言葉に拒否反応を示すように、私自身が拒否反応を示してきましたから。 これは、率直に言えば私怨に近いのかもしれませんね。 親しい人に名作ゲームの面白さを説いたのはいいが、「あっそう」「しょせん、ゲームでしょ?」 そんなことを言われ続けてきた苦い思い出。 そんな人々が、脳トレのときには「へえ、ゲームって面白いじゃない」と口々に言ったのですよ。 でも、今では元の木阿弥です。私の描いた青写真は、幻影に過ぎなかった。 今さら言っても、せんなきことかもしれませんが。 >値下げ、カンファレンス、マリオ・マリオカート・モンハンの三本の矢といった怒涛の逆襲劇を参考にしたほうが楽しいと思います。 値下げは・・・見てる方は楽しかったかもしれませんが、アンバサダーになった側としては少々複雑といったところなのです。 まあFEとかヨッシーとかは楽しんでますが、もやもやするところもないわけではない。 >逆転裁判5、欲しい。値段がお手ごろだったので、レイトンVS逆転裁判を買ってしまった。 逆転裁判5、この先に希望が持てる出来であったと思います。 散々だった4から、ひとまず立ち直ったかなと。 レイトンシリーズと逆転裁判シリーズの本編は全て購入しているので、 レイトンvs逆転は夢のコラボでした。 レイトン教授のような、切れ者で人格者になってみたいものです。 あー、うー、あんま読めなくて、裏表も使いこなせていない感じですが。 今回もハーバーマスって誰じゃそりゃ、と思いつつ、何も知らない素人の目線(これが自分の一番の武器かな? 卑怯!)を保とうかと。 凡人よりも無知なのが取り柄って我ながら…… >その新人や中堅層が、伸び悩んだり評価されなくてがっかりし どの分野でもそうですが、高評価で満足してしまう、不評価に悲しむ。一時的な気分のアップダウンならともかく、ずっと気にしている。 その程度の思いなら消えていって当然、だと思うんです。 酷な言い方をしてしまえば、そこまで期待してないし、そんなブームなあやふやなモノのために頑張らなくていい。 自分は感想を書いてますが、それは作品を評価したかったり、作り手さんに成長して欲しい、からではありません。 自分の為。じゃなきゃ、こんなに続いてないでしょう? って自分に問いかけ。 結局はモチベーションは高尚なもので塗り固めたものより、好きだから、ブームに乗っかりたいからとか、エゴむき出しが好きです。 当然、飽きる人も出てくるでしょうが、入っていく人がそれ以上に居れば、って感じです。 num100remix、cat maniaとか、RZ contentsもこしあん堂のファンイベントも、過ぎ去ってしまえば何も残らなかった、 とも言えますが、同じものを堂々と好きって思えたのは、かけ替えのない貴重な体験となってます。 ただFlash板は入口のところで、ちょっとって感じはある。流石に感想0や片手で数えられるほどじゃ、寂しいもんね。 >ゲーム は大変っすね。 レイトンみたいなカジュアルなゲームで、ベテランさんみたいなロジックでも好きになれない。 こりゃ大変だ…… 思うにそういう友人たちは、ゲームを娯楽として楽しむ下地を持っていたのだろか。 小学生くらいの頃、集団でテレビゲームを話題にし遊んだ記憶、ゲームをしに遊びに行き、ソフトを貸し借りし合う。 こういう共通した体験がある自分って、恵まれてんのかな。 ゲームについて長文を書こうとするときは、目を通しているのがこれです。 ファミ通にて、風のように永田(永田泰大)氏が書いたゼルダの伝説レビューとポケモン体験記の保管庫 ttp://www.geocities.co.jp/Playtown-King/4566/etc/gameetc/nagata1.html ゲーム以外にも通じそうな熱烈なラブレターで、実際そのゲームにふれてみたくなる愛情に溢れてる。 また、こういうのを読んでいると、ゲームって一人で遊ぶものじゃなくて、人と人がふれあう所に面白みがあるって感じが改めてします。 あー、3DS。 こっちは値下げをキッカケに買ったんで、すげーってその後の展開を見てたんですが、発売当日組や初期組はそりゃ思うところがあるんだろうな。 一万円の恨みはデカそう。 レイトンさん、ジェントルマンって感じっすね。自然と背中を預けてしまうような、包容力があり。 えとですね。逆転裁判5。購入の指針として、これだけは聞いときたい。 4で何故か達観してしまったナルホドウは、熱血弁護士として帰ってきましたか? なんだろう、様々な思いが浮かんで書いては消して、書いては消して。 結局文章がまとまらないわけですが。 でも、まとまらないでもいいんだろうと思います。(たぶん) 日刊氏のスタンスが「自分のため」だとすると、自分のスタンスは「人のため」「社会のため」なのかな。 ハーバーマスの考えは、要するに「社会を良くするためにはみんなが理性的に話せる場があるといいよね」って考えです。 でもとことん「自分のため」で行動する職人肌というか、芸術家肌というか。 そういう人が創り出すものに、魅力を感じることは確かです。 クロノトリガーなどは、かつての「ゲームクリエイター」が職人気質だった証だと思います。 「自分のため」じゃなければこれだけ作りこめないよな、と。 私が最近のゲームで最後にそれを感じたのは「ラジアントヒストリア」かな。アトラス・・・。 逆転裁判5は、なるほど君操作時はハッタリ弁護士の面は帰って来ていたと思います。 熱血さは、どちらかといえばオドロキ君とココネちゃんに受け継がれつつありますかね。 なるほど君は師匠キャラとしての成長をみせた感じです。 ただ、まあスタッフが違うので初代から3までとは作風に毛色が違う感じはあります。 4からどう立て直すかに着目し、あまり多くを求めすぎなければ楽しめるのではないでしょうか。 えっと、です。自分の無責任な発言で、悩んでしまったならすいません。スキップした自分の背後には笑顔はなく、血だまりばかりが…… バカな自分は難解な部分は理解できないんですが、何か遠慮してしまっているのなら、もうダイレクトにぶつかってしまってもフィールオーライですよー。 スタンスは、そうです。自分は何処までも自分のためで。 最近は感想の読み手を意識してるのですが、それも想定している第一の読み手は数ヵ月後、数年後の自分だったり。 まー、動機はどうあれ、埋まるのは駄文の山なので、しょーもなく。 場を求める動きはFlash板全盛期にも、こういう場を作ろう、真のアンチスレや馴れ合いスレや感想スレを作ろうっていう議論は沢山あったのですが、 言葉だけで実行力が及ばす。 もちろんベテランさんみたいな言動が一致する人が少しでもいれば、違った未来もありえたのかもしれませんが。 なので、ピークを終え人が減った今、改めてどうやって作るかってのは、難題だと思います。でも、あったら、確かに嬉しいかも。 うう、クロノトリガーは凄いっす。 当時のスクウェア・エニクスの巨塔がコラボしながら、音楽の光田さん、元ラブデリックの西さん、とか新しい人も活躍していて。 黒い風が吹いている。あなた達の誰か…… その後の展開の衝撃は、忘れられないゲームです。(でもうろ覚え) こーゆーゲームは海外でも魅力が伝わっていて、全力で降り注いだ熱意、ってのは報われることもあるんだな、と勇気づけられる。 逆裁は、4は黒歴史的に取り返しのつかないものとなって、無かったことにされるんじゃ、と思っていただけに、興味が深まりました。 あー、前作では立ち位置が可哀想だったオドロキ君、活かされるのかー。体験してみたい。 ☆第9回ParaFla!感謝祭 ttp://parafes.web.fc2.com/2013/ ・ParaFla! 9 ttp://www.geocities.jp/camelimits/works/9thParafes2013.html 冒頭、アイディアは面白いのだけど、演出が控えめで壮大な曲に飲まれてるかも、と思ってた。 でも、空が出てくるあたりから映像全体が曲とシンクロし、胸に響くものが…… 劇的な動へと飛翔するための、助走期間としての静。うん、こうした構成には、けっこう惹かれるものがある。 一番のお気に入りは、海を滑るPalaFla!の場面。 疾走感がありながら、なんか曲調の重さにも耐えられるものがあって、素敵だと思う。 語りたかっただろう他の文や文字を使わず、「PalaFla!9」の9文字に全てを込めたのも粋。 ・イシャハドコデスカ? ttp://www.geocities.jp/rs_life/flash/isya/ アドベンチャーゲームのように見えて、色々な会話や雰囲気を楽しむインタラクティブ系AAものの風味も。 ゲームオーバーが無いので、とても気楽に遊べた。 宇宙船、少し悩んで解決策が見つかった時に、快感が。 AAは記号っぽい輪郭を適度に残していて、自分はこういう感じの加工、好き。荒らさを感じさせず、むしろ丁寧。 モナーのセリフは文字を進める際に、ちょっと一手間かかる。この作品で唯一ストレスを感じた部分。一度に表示してもと。 通してやってみて、いい意味で力が抜けていて、リラックス。緩やかな暇つぶし。 ・第9回ParaFla!感謝祭 ttp://movie.geocities.jp/gonbe_para/130825.html 顔はとても写実的で、でも特徴を掴んでデフォルメしていて、巧みな似顔絵っぽさが。 ボリュームもけっこうあって、出てくる人たちも予想を超えたラインナップで、驚きがあった。 難しいのは間っすね。 題材になった笑点みたいに老若男女に受けるためには、この緩やかなテンポが合ってるのだろうけど、 個人的にゆるくなりすぎてしまい、切れ味を削いでいる印象があった。 緩急もイマイチ機能していないような。 ゆーーーくーり、ゆーーくりーーー、しゃーーべってーーるーーーようなーーーーー。 それでけっこう長く続くので、初見は楽しめたのだけど、それで二度目を見ようとしたんだけど、ちょっとストレスが溜まりそうなテンポだったので止めてしまった。 これはマチャミの手の動きみたいな、動きをもっと全体に散りばめるか、いっそのことクリック式にして、間を読者に委ねたりとか。 内容面じゃなくて演出面で、何かしら飽きさせない工夫があると、抵抗感は薄れるように思う。 ちょっと勿体ないかなぁ。 ・逆転うさげ ttp://red.ribbon.to/~karaage/flashbox/parafes2013.html タイムリー。 逆転裁判系は公式体験版Flashを初め、ひとつの系統となるくらいにまで、育ったジャンル。 非公式Tの第一話体験版(1さんと八頭身の)を初め、極東とか、多方面で沢山ある。 個人的には 「MMR VS 逆転裁判 逆転のノストラダムス」 がオススメ。笑いのエッセンスに溢れてる。 ちょっと前提知識がないとこの雰囲気に馴染めないかもしれないけど、5発売直後という旬を狙った感じで、熱を持って観れた。 そして「えーーー!」って為った。 所長とか被告人とか事件とか沢山の伏線にそっぽ向いたまんま、山場を突っ切って、一気に終幕へと。 もう、すごい脱力感。 ただ、この脱力感は、それまで溜めてきた期待感があったからこそ生まれたもの。 なので印象面で、「俺たちの戦いはこれからだ!」な打ち切りテイストを感じつつも、そこで乾いた笑いがやって来た。 糞フラボンジュ? 的な。 中身はアレンジやパロディーをしきれてない感じを受ける。 うさげって誰? 内輪ネタ? のような。 なんというか素直な優等生というか、破壊的なはっちゃけが足りないような。もっと思い切ってもいいのよ。 原作の面影はいい感じで演出されてたので、うん、練っていく過程の時間不足を感じる。 余談だけど、逆転裁判って推理系ノベルゲームを、突っ込んだり、応答を入れたりして、大きく変えてアレンジしたゲームに思える。 それで本作品のテキストは、若干2ch的な笑いを入れつつも、元ネタの展開を忠実になぞっていながらも、どうも文章としての魅力が薄かった。 だからネタ系とAS系と文章系に長けた人が挑んだりコラボしたりすると、まだまだ金脈に当たりそう。そんな可能性を。 ・ParaFla!感謝祭を振り返って ttp://www.geocities.jp/para_core/parafes_history.html スローテンポでじっくりと進むダイアリーの連なり。 想いを巡らせ、感慨を味わうのに十分。なんというか、安定した演出を感じた。 無音なのが尚更しんみりとさせる。 毎回大会が記録されていく日記。 それで第九回大会となり、うんうんと思っていたら…… ページ繰り演出のためだろうけど、日記に記録された毎大会が消されつつ(ここは意識して見返して気づいた) 特に第九回大会の文字が、感謝の言葉のために、他にも増して消しゴムにかけられたように印象深く消えていく。 うわー、ちょっと待ってー、これは、ページを繰ってメッセージとか、メッセージそのものを省くとか、何か、別の道を! と取り乱してしまった。 それだけ第九回大会の文字記録が消えていくのに、ショックを受けてしまった。 でも、ありふれた記録モノよりも、ずっと記憶に残りそうな衝撃だったので、これはこれでアリかも。 途中の文字でPalafla!のP辺りがページからはみ出してるのは、シンプルに的を絞っていただけに、ミスとしてやや目立ったり。 でも、最後は素敵。白紙がペラペラとめくられていく。可能性にあふれる未来の連なりを何気なく意識させる美しい演出だと思う。 これは公式エンディングにしてもいいくらい、表現、テーマ、題材、演出がマッチしたFlashだったと思う。 しんみり。 Parafla!感謝祭ですが、日刊氏の誘導がなければ見逃してました。多謝。 私は第一回の時は観ていて、それ以降はご無沙汰だったので8年ぶりらしいです。 改めて感想投下して、何かしらの恩返しはできたかな。できてなくてもドンマイってことで。 ちなみに第一回の時は、名前ないっす(-∀-)氏の「PokerFaceDown」にえらくハマったことを覚えています。 それをブラッシュアップした「PokerFaceUp」は、私的Flash史の中では名作。 後世に残すためにも、置いておきます。 http://www.geocities.jp/dx_brade/namaenai/swf/pokerfup.html あれから8年かー。道理で私も年をとったなぁ。。。 もしかすると、今年で500歳ぐらいになったかもしれません。でも永遠の18歳。 parafla!感謝祭は大きく目立つことはないけれど、個性的だったり、面白い作品がかなーりある気がします。 今回はいろいろ悪条件が重なった中で、それでも作品が集まり……気負わずに息長く続いて欲しいイベントの一つ。 感想、読みました。もう、すんごく心血そそいで書いた感じがあって、面白かった。 時間が経つのはあっという間だなー。 時というのは本当に儚い。(8000歳くらいまで年をとって、悟りを開いてくだされば) 最近2chという場も脆いと思える事件があり。巻き込み規制も控えてるし。 自分には何がどうこう出来るものじゃないけど、ただただ今の当たり前に、感謝です。 >PokerFaceUp とても血が通った温かく熱い作品だなーと思いました。 AIのようなプログラムされた機械な感じを、AAキャラが打ち消してる。 かと言って長い演出でもなく、むしろモーションが独特のテンポを作っていて、ゲームにノルことができる。 中毒になる感じが、ああ、とてもわかります。楽しそう。 メモメモ ・あぐ(略 ttp://www.youtube.com/watch?v=E_EaOef4qFY うん、可愛い。 途中からの展開は、タイトルから乖離している。たぶん作者の意図や思惑を外れたものだと思う。 でも、そこがいい。 キャラクタは、何を見つめているんだろう、何が起こってるんだろう、作者は何を見つめているんだろう。 そういう想像力を働かせる、微妙な隙間を提供している。と思う。のは自分だけですか。そうですか。 キャラクタが作者の描いた設定、ストーリーから外れて、キャラクタがキャラクタとして動き出す、喋りだす。 それは作者のコントロール不足、という場合もあるけど、 それがずば抜けて高く発揮され、キャラクタとのあいだに強い連帯感を持った時にも起こるんじゃないかな。 こんなのを思い出しました。 「ドラゴンクエスト ダイの大冒険36巻」から引用します。 漫画の原作を書いていて一番驚いてしまう時、感激する時……それはキャラクターが勝手にしゃべりだす瞬間です。 自分が設計図をひいて、稲田先生と組み立てたはずのキャラが計算外の行動をとり、 まるで生きているかのように台詞を口にしはじめるのです。ぼくはそれを書き写すだけ。 そしてこの巻で、このキャラは、このシリーズを強く深く印象づける名セリフを叫びます。 ちょっと大げさかもしれないけれど、途中までで作者は映像を切ろう、恐らくボツにしようと思っていただろう次の瞬間、 この動画でもキャラクタが動いてくれます。 タイトルの対象から離れ、けれども興味津々の眼で世界を見つめてくれます。作者はそれを見守り続けます。 そこにあざとさはなく、ほんわりとした優しさが満ちています。 しかも、この作者さんは過去作も凄いです。 ttp://www.youtube.com/watch?v=zpEMLFcrpUo なんだ! このシンクロ具合は! ttp://www.youtube.com/watch?v=FeUSUtVLjAo 奥行きを意識した構図、カメラ。 キャラクタの可愛らしさ、シチュエーションのお膳立ては勿論のこと、緩急が自然と作られていて。 あくびをします。平然と。自然と。 その油断を狙ったかのように、動画は動き出します。 その模様は、台詞が浮かんでくるような、思わず当てたくなるような、そんな妙味が。 ただ本当に台詞を当ててしまうと、多くのテレビ番組がそうであるように、嘘臭さや人間万能な匂いがしてしまい、失敗してしまうと思うのでここは控えます。 この作品は天が与えてくれた偶然の産物なのかもしれませんが、それを産むまでの沢山の時間とチャレンジがあったように思います。 よっぽどの愛好家じゃないと出来ないくらい。 というか運だけでこんな場面をごく自然に演出できたとしたならば、タカラクジ当選者くらい羨ましいです。 なるほど、中々考えさせてくれる動画群でした。 これらの動画の猫は、自分の世界を持っている。それは、飼っている「人」の意図や思惑から自由である「自然」側の存在といえそうです。 ユクスキュルという生物哲学者が、すべての動物はそれぞれに種特有の知覚世界をもって生きており、その主体として行動しているという考えを展開していて、 これを「環世界」というそうですが、この動画群は「猫の環世界」へと想像力を誘ってくれるものであったと思います。 「人間の環世界」から視点が離れ、一瞬「猫の環世界」との隙間を漂う存在になった。そんな感覚を受けました。 動画においては「人が作ったストーリィの全能性を疑ってみる」というのも、一つの顧みるべき視点なのかも。 そういう主題で作られたFLASHも趣きが深そうです。 そういえば、宮崎駿監督が引退してしまいましたね。ジブリ好きとしては寂しい。 ジブリの作品も、「自然」と「人間」の関わりについて描いたものが多かったように思います。 まあジブリが無くなったわけではないので、今後の展開を見守っていきたい。 せっかくなので、印象に残っている歌詞の鑑賞を書いてみようかな。 「べてらん先生の名文鑑賞教室」みたいな感じのが始まります。 今回のテーマは「千と千尋の神隠し」の「いつも何度でも」である。 歌詞は以下の通り。 >呼んでいる 胸のどこか奥で >いつも心躍る 夢を見たい >かなしみは 数えきれないけれど >その向こうできっと あなたに会える >繰り返すあやまちの そのたび ひとは >ただ青い空の 青さを知る >果てしなく 道は続いて見えるけれど >この両手は 光を抱ける >さよならのときの 静かな胸 >ゼロになるからだが 耳をすませる >生きている不思議 死んでいく不思議 >花も風も街も みんなおなじ (中略) >呼んでいる 胸のどこか奥で >いつも何度でも 夢を描こう >かなしみの数を 言い尽くすより >同じくちびるで そっとうたおう >閉じていく思い出の そのなかにいつも >忘れたくない ささやきを聞く >こなごなに砕かれた 鏡の上にも >新しい景色が 映される >はじまりの朝の 静かな窓 >ゼロになるからだ 充たされてゆけ >海の彼方には もう探さない >輝くものは いつもここに >わたしのなかに みつけられたから 以上となっている。 >呼んでいる 胸のどこか奥で >いつも心躍る 夢を見たい さて、まず最初の部分であるが。 「胸の奥で心躍る夢を見たい」というのは、人なら抱くであろう普遍的な気持ち。 「なぜ見たいのか」と問われてもここですぐに解釈することは難しい。 そこで明らかにすべきは「呼んでいる」とは「誰が、誰を呼んでいるのか」であろう。 それに関しては、この部分だけではさすがに情報が足りないので次にいく。 >かなしみは 数えきれないけれど >その向こうできっと あなたに会える 「かなしみは数えきれない」も人間における普遍的な事象といえる。 では、「その向こうで会えるあなた」とは、果たして誰なのであろうか? あえてつっこんで推測することもできなくはないが、ここはひとまず、無理をせず読み進めよう。 >繰り返すあやまちの そのたび ひとは >ただ青い空の 青さを知る >果てしなく 道は続いて見えるけれど >この両手は 光を抱ける 前半は、人間において普遍的な事象。「やっちまったなぁ・・・」と思うたび、人は天を仰ぐもの。 そのたびに、空をあらためて「青い」と感じることが出来る。 人間は普段「空」を当たり前のように見ているが、それを「意識」しては見ていないということがポイント。 「失敗してヘコむ」という「なんでもないこと」を上手く膨らませると、こういう文章になるのだ。 後半については、趣深い比喩が多用されている。 人間を扱った文章で「道」とは基本的に「人生」を指すものと思ってよい。 また「光」は「希望」を指すことが多い。「両手で抱く」は比喩における場合、心理的な描写に使われる。 分かりやすく言えば「失敗ばかりの自分にはこの先の人生は長いと思えるけれど、でも希望を持つことは出来るよね」という文である。 >さよならのときの 静かな胸 >ゼロになるからだが 耳をすませる ここはわかりにくい。 「さよならのとき」とは一体どういうときで、また「静かな胸」とは何を表すのか? そして「ゼロになるからだ」というのも独自の比喩で判然としない。 そういうときは、他の文脈から判断するのがよい。 >生きている不思議 死んでいく不思議 >花も風も街も みんなおなじ この部分を読むことで、おぼろげだったこの文章はようやくまとまりを帯びてくる。 はっきりと作者の思いが書かれているここが、この文章の中での「主題」である。 この文章は「生きていく不思議」「死んでいく不思議」に関係し、それは「花・風・街」に共通する。 つまり、評論的にいえば「人間を中心としつつ、生物に限らない広い視野での「生成」と「消滅」への畏敬を描いている」 と解釈することができるのである。 となると、 >呼んでいる 胸のどこか奥で >いつも心躍る 夢を見たい >かなしみは 数えきれないけれど >その向こうできっと あなたに会える ここの文章の意味が明確に判明することになる。 すなわち「かなしみの向こう」とは「人生の向こう」=「死」であり、 「あなた」とは「死別してしまった人」のことなのだ。 であれば、 「(死別してしまった人が私を)呼んでいる、胸の『どこか奥』で。 (あなたが生きていたときの)心躍る夢を、見(てい)たい。」 と補うことが出来て、これで完璧に意味が通ることになる。 >さよならのときの 静かな胸 >ゼロになるからだが 耳をすませる ここまで読み取ることによって初めて、この部分の意味が判明する。 「さよならのとき」とは「死にゆくとき、もしくはお葬式」であり、「静かな胸」はまさにその視覚的なイメージである。 「ゼロになるからだ」とは、まさに人が「消滅」していくことであり、 「耳をすませる」とは、死者が、そのような動作をしているように見えることの比喩なのである。 >呼んでいる 胸のどこか奥で >いつも何度でも 夢を描こう では、2番を続けて読み解いていく。 「(死別してしまった人が私を呼ぶこともある)、胸の『どこか奥』で。 (私の人生における)『夢』(というべきもの)を、いつも何度でも、描いていこう」 ここら辺は、単語が前と全く同じ意味や文脈で使われているのかどうか、解釈には熟練を要する。 「主題」については既に触れているが、この歌には「副題」といえるべきものがある。 それは、先に解釈した「失敗ばかりの自分にはこの先の人生は長いと思えるけれど、でも希望を持つことは出来るよね」である。 すなわち、 「人生には失敗がつきものであり、そのたびに人は挫折(=生きる気力の「消滅」)を体験する。 しかし、そのたびに人は希望を抱いて立ち直り(=生きる気力の「生成」)生きていくことが出来る」 ということである。 これを踏まえれば、前述のような訳が自然であろうと思われる。 >かなしみの数を 言い尽くすより >同じくちびるで そっとうたおう 「副題」についての言及が続く。 「あれはかなしい。これは嫌だ。それはどうしようもない」 沢山ある悲しみの原因を、一つ一つ取り上げることはできる。 しかし、それは周りの人間も、自分もより悲しくしてしまう。 それならば、同じ唇でそっと歌い出した方がいい。 少しでも、前向きな気持ちになれるはずだ。 >閉じていく思い出の そのなかにいつも >忘れたくない ささやきを聞く >こなごなに砕かれた 鏡の上にも >新しい景色が 映される 前半の「閉じていく思い出」は「死別した人との思い出」であり、 その中に、「死別していた人」からの「思い出の一言」があるはずということを述べている。 忘れたくないのは、その人物が生きていた「証」だからである。 ちなみに私も、おばあちゃんが私にかけてくれた言葉を今も覚えている。 「お前はね、私の……宝物なんだよ」 ……やさしかったなぁ、おばあちゃん。今も、空の向こうで元気にしているだろうか。 後半は、「主題」もしくは「副題」について、今一度「鏡」という形でたとえて述べている。 一般論なので、具体的な場面は自由にイメージすることが出来る文章である。 >はじまりの朝の 静かな窓 >ゼロになるからだ 充たされてゆけ >海の彼方には もう探さない >輝くものは いつもここに >わたしのなかに みつけられたから この文章の上手いところは、このまとめの文章において、 「主題」と「副題」のどちらでも心に響くように書かれているということである。 すなわち「主題」から解釈するならば、 「はじまりの朝」とは「ゼロになるからだ」が「満たされていく」朝、 つまり人間の「生成」が起こる朝、出産の場面である。 となれば「海の彼方」とは「死者の世界」であり、 もう気持ちの上で「死別した人」に引きずられない(=探しにいかない) ということであり、精神的にふっきれたことがうかがえる。 なぜか? それは、「輝くもの」を「私の中」に見つけられたから。 すなわち、「これから愛すべき子ども」を「宿すことができた」というわけである。 人間の「消滅」=「死別」から、「生成」=「誕生」へとつながる文章の織りなす感銘は、並大抵のものではない。本当に感動した。私が。 一方「副題」から解釈するならば、「はじまりの朝」とは「挫折(=生きる気力の「消滅」)からの立ち直り(=生きる気力の「生成」)の朝」であり、 「ゼロになるからだが満たされていく」というのは、「生きる気力」が満たされていくと捉えることが出来る。 となれば「海の彼方」は「どこか遠く」である。 気がめいっているときは、「どこか遠く」に漠然とした「幸せ」を求めるもの。 しかし、もうそれは探さない。自分の中に「輝くもの」=「はっきりとした目標、希望」を見つけることができたのだから。 こちらの解釈では、なんとも未来への希望で胸が埋め尽くされ、元気が湧いてくる文章である。 総評としては、 多くの人に訴えかける抽象的な普遍性と、人が自身の経験に思い当たることがある具体的な特殊性。 この二つを兼ね備えている、優れた歌詞といえる。 また「主題」と「副題」が絡み合うようにして書かれている点でやや戸惑う構造かもしれないが、 作者の考える「主題」をはっきり明示してしまってそこを拠点とすることで、 あいまいな点を残さずに解釈が周縁部まで可能になる点も非常に良く考えられている。 やっぱり名曲です。おわり。 あー、この人の猫は、ツボっす。 人と猫の交わりと、その差異の交錯なんて、これなんかもズバッと打たれます。ニヤけてしまう。 入念な下準備と演出とドキュメントと猫の、コブラツイスト。 ttp://www.youtube.com/watch?v=7QdPlSWdLpg >宮崎駿監督 の引退は寂しいんだけど、残念感は少ないんです。自分の場合。 何でだろ? って思うと、一個一個の物語を、その時の技術と情熱を振り絞って、完結させているからかな? トトロやラピュタやルパンとか、まだまだ明日が続きそうな含みを持たせながら、一つの映画としてきちんと幕を閉じている。 そういうのはナウシカとかにもあって、映画のクライマックスで「完結ーっ!」って、満腹感と充実感がある。 漫画の原作は確かもっと続いていたと思うんですが。ナウシカ2を作ってとか思わせないし、匂わせない。これって凄いことだと思う。 ビデオ派の自分は「風立ちぬ」はDVD待ちかな。流石にポニョショックは大きかった。 >いつも何度でも はメロディが優しいなぁっ、て思っていて。歌詞にまで心が及ばなかった歌です。ランランランってのが一番残っていて。 なるほど、こうして検討していくのを追うと、すげー、いい詩。 何か今までの自分は。 死と生というより、夢(神隠し世界)と日常(引越し先での現実)って感じで、捉えてました。 でも、あの神隠し世界って何だったんだろう。 あの世界で最後の方に列車が出てきて、そういうのは銀河鉄道の夜みたいな生と死の中間点みたいに思えたり。 だめだ、解釈の土台に妄想を使っちゃあ。でもあの神隠し世界は、凄いイマジネーション。近くて遠い世界。その距離感が。 細かいとこだと >繰り返すあやまちの そのたび ひとは >ただ青い空の 青さを知る ここが個人的に大発見でした。なるほど、空を仰ぐ。 もう取り返しのつかない失敗って感じがするんだけど、変わらず青くて広い空って、なんだか一筋の救いというか癒しみたいなのがある。 全体的にかなりシリアスに現実を切り取っているんですが、それ以上の願いや祈り、再生がある感じを受けました。 なんか凹んだ時に聞いてみよう音楽リストに、加えよう。 素敵な歌と、素敵な紹介を、ありがとう! ジブリの歌と言えば、自分は「紅の豚」での歌の使われ方が好き。 あれですよ。最後に成長したフィオの回想って形でたたんで、時間を未来へすっ飛ばして、それまでの物語を想い出にしてしまう。 けれど、次に「時には昔の話をしようか」なんて、飛ばされた過去を手繰り寄せようとする。 なんつーか、昔の話に、「物語内のマルコとジーナの青春」と「終わってしまう物語そのものと、語られないその後」の両方を滲ませていて。 余韻が。余韻がー! ああ、時間の制御がほんと巧み。 誰も見ていないな。お久しぶりの僕です。 しょーもない。いくら立派な講師がいて中身のある講義をしても、生徒がこんなんじゃ、ダメでしょ。って思います僕は。 あきれ果てた顔が浮かぶ。 ということで久しぶりに草葉の陰から、勢いだけでやってみましょう。僕が。 ・いつも何度でも まず、この歌の危ういところは、この部分。 >かなしみの数を 言い尽くすより >同じくちびるで そっとうたおう 1 悲しみ無責任な口先系応援ソングにも成りそうなところだし、 2 悲しみを強く歌ってる本曲の自己矛盾にもなりうる。 1は、まあ、誤解されそう。悲しみと真正面に向きあわないのか? って。 2は更に深刻。この歌そのものを欺瞞にさせてしまいそうな表現だ。 何せ、ここに至るまで、この人はかなしみや死をたくさん描写している。特に >生きている不思議 死んでいく不思議 >花も風も街も みんなおなじ に至っては終わりを、個人ではなく自然、人工物、全てに広げている。 街が死ぬも印象的だし、風が死ぬも印象的。 さて、どう繋げていくか…… >閉じていく思い出の そのなかにいつも >忘れたくない ささやきを聞く >こなごなに砕かれた 鏡の上にも >新しい景色が 映される >はじまりの朝の 静かな窓 >ゼロになるからだ 充たされてゆけ ここから見えるのは、破壊の中でも、どうしようもないことでも、それを認めて生きていこうという強い意志だ。 「閉じていく思い出」、「砕かれた鏡」、「ゼロになるからだ」、すべてを認めながら、それでも受け入れて生きていこうと肯定する心だ。 締めの歌詞、そこから続くランランランのハミング(敢えて歌詞を載せない)の何と優しいことか。 忘れがちな不意に訪れる悲しみを気づかせ日常に対置する序盤、 そこからの転換、そして悲しみの受容と明日への希望へと踏み出す心を描ききっている。 歌というのは限られた時間、文字で紡がなければならない。 その中で、この複雑な重奏性を、丁寧に切り取った。並大抵な事じゃない。 FLASH/K ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm2167930 歌系ということで。 Bump of chickenの名曲K。 原曲PVも普及していない頃、物語性の強いこれら初期の曲は、頻繁にAA化、Flash化された。 特にこの曲はバンドの名前を「売る」のに大きく貢献したように思える。 原曲にふれてないとギャップによる面白みがわからないっぽいので、未聴な方はこちらを。 絵描きから逃げ出す「走った」から、恋人の元へと「走った」の転換が、胸を揺さぶる。 ttp://www.youtube.com/watch?v=Ee_QaBjj08c 本編へ。 観ればズバズバ感じるんだけど、笑いどころが沢山ありながら、物語は一本筋が通っている。 てきとーな絵も、幼稚園児的な幼さがありつつ、意味不明っぽさは控えめで、テンポ良く進む。 悪ふざけ、ながらも、センスといってしまっていいのだろうか。何か妙な迫力がある。 下手の一言で切って捨てる人もいるだろうけど、僕は笑った。この系統のFlashでは一番、印象に残った。 ニコニコならではの観客の激しくも温かい目が、それを支える。 そして、鮮烈なオチ。冒頭部分から予告されているのだけど、これは反則スレスレの際どさ。 これは面白い。 でも、真似ようとフォローしても、正に罵声と暴力が返ってきそうな、そんな域にある。 自力のようなものは後半のメグミルクあたりから伺える。でも、ここはカットしてしまったほうが潔くも思える。ここで、頑張ってる感が、出てしまった気がする。 まー、凄いです。洗練された武器はなくとも、ここまで闘えたっていうのは、何か嬉しいです。 昔はFlashがネット上でも夢を見れる時代だった。 gagaシアター(だっけ?)、デジタルジャンプ、ライブドアネットアニメといった、登竜門的な場が多くあった。 今ではもう、どれも無くなってしまった。 その中でも日本でのshockwaveが撤退してしまったのは本当に残念だ。 後に商用で出る「zoo keeper」「或る旅人の日記」「catman」といった人気コンテンツは胸をときめかしたし、 何百とあるジグゾーパズルには文字通り何百時間も暇を潰してもらった。 その中で「或る旅人の日記」を。 ・世界観、スケール感 とにかく連作短編アニメーションで、これだけ世界を豊かにイマジネーションさせる作品は稀だ。 独特の色使い、寂しさと朗らかさを持つ音楽、さりげなくも豊かに流れるアニメーション、それと静との対比。 ファンタジーっぽくも、どこか感じさせる身近さ、世界での現実への親和性。 ・シリーズとして 連作としても、一話一話がまるで日記の一ページのように完結する心地よさと素晴らしい余韻。 一話一話の連載間隔の驚異的な短さ。 適度な飢餓感を持って終わる、何とも言えない後味。 その飢餓感は、同作者のアカデミー賞作品でも、DVDのボーナストラックでも満たされなかった。 どうしても続きを読みたいのだけど、たぶんもう本人でも作れない、そんな奇跡的な作品にも思える。 ・透明な主人公 この作品は世界のファンタジーを鮮やかに提示する。けれど、この主人公、とても透明感がある。 ずばねけた特技や行動力もなく、旅人ならではの朗らかな陽気さや静かな陰気さもない。さりげない、何だろう、アクが薄い。 一人旅の目的自体、伏せられたままだし、目的地も曖昧だ。個人的には、ずっと旅をし続ける人なのかな、との思いがある。 トルタニアという世界は不意に、大きなファンタジーを旅人に与えるのだけど、旅人はとても受動的。 ファンタジーは世界にあって、主人公にはない。 そしてそれに出会うとき、主人公はさり気ない驚き方をするのだけど、体でジェスチャーしたり、動揺してどなったり等、感情を表に出さない。 能動的に行動したのは、雨の街での悪夢を焼却しようとする部分くらいだ。 だからこそ、感情移入しやすい。 共に一人旅をしているような一体感が気持ちを覆い、着心地のいいセーターのようなナジム感じ、一体感がある。 彼も僕たちもトルタニアの旅人なのだ。 DVDでのエピソードに今ひとつ共感できなかったのは世界観の色合いなどよりも、陽気に踊ってしまった彼に、とても残念な思いをしたからだと思う。 ・二話 具体的に最もお気に入りの二話目を見ていこう。 真夜中のコーヒー。喫茶店。ここでもうドラマがある。眠れなくなるコーヒーを深夜に飲む主人公、なぜか営まれるコーヒー店、ほかに客はいない。 これだけでワクワクさせる舞台設定が、溢れている。 きっと、です。目新しさや独特といったような世界観もいいけど、こんな感じに組み合わせの妙な世界の表現の仕方が、僕は好きだった、んだと思う。 さて、この作品。間の使い方が自然で丁寧。 3分にも満たない全体の尺にも関わらず、旅人がコーヒーの砂糖をツボからだし、コーヒーに入れるまで、かなりの時間をとっている。 けれど、この精緻で現実的な描写があるから、その次に起こる日常的なファンタジーにどきりとする。 そして、オチの独白の何ともいない不思議さと寂しさ。それに優しさ。 観る人によって、感じる印象はたくさんあると思う。でも、多くの場合、少しほろ苦く、気持ちいいものになるんじゃないかな。コーヒーのように。 なんだろう。この作品は折に触れて輪廻でまだ何回も触れていくことになると思う。観る栄養剤。 おまけ ・catman3 はシリーズの出世作と同時に、打ち切りって感じを残してしまったと思う。 すごい不完全燃焼感。 catmanとcatwomanとの関係という軸は、切れてしまったし、細切れなエピソードにあまり統一感を感じない。 それとTV放映が悪い方向に出ちゃった感もある。 意気込みの空回りとか、おまけの消滅だけじゃなくて。 全体的にコンパクトにまとまるほど、catmanっておとなしい人じゃないんだよね。 スロットを延々としてくるくる回ったり、タバコに火がつかないでカチカチやりまくったり。 何だろう、無駄っぽくも無駄じゃない好感を持てる間があって、 それがTV放映という決まった枠じゃ、死んでしまった。 すごくもったいない。 枷のないところで、もう一度catmanがジャンプするのを観たいです。 でも3はシーズンそのものにトドメを刺しちゃった感があって、でも、こういうもんじゃないだろ、これで終わりじゃないだろcatman!って思いもあり。 以上。こちらイタコステーション。 地獄の兄からの長文でした。 見ている人がいたら、見たよー、だけでもいいので、なにか返事してー! 寂しいんだよー! おー! 見てる人、いたー。レスありがとう! 気軽に見たり、適当にコメントしちゃってくだされば。 すいません、体調が思わしくなく。。。 応援してくださるのは嬉しいのですが、8000歳までは、ちょっと無理かもしれません。 長くともあと100年ぐらいしか、私の命の灯は残っていない。そんな予感がします。 >>300 どうもこんにちは。 いつも妹さんにお世話になっている「べてらん(仮名)」と申します。 中途半端な博識ぶりに定評がある仙人(という設定)です。 よろしくお願いします。 ちなみに、空海の言葉に 「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、 死に死に死に死んで死の終わりに冥し(くらし)」 というものがあります。 すなわち人間は数多く生まれますが、生まれるということがどのようなものであるか分からない。 また数多くの人間が死んでいきますが、死んだあとのことも良く分からない。 人間はかくも不完全な存在で、だから仏教が必要なんだという文章の一節ですが、 言われてみるとまったくもってその通りだと思います。 なので、差し支えなければ聞いてみたいですね。 「正直なところ、『死ぬ』ってどうよ?」って。 やっぱり地獄はつらいところですかね? ・・・・・・いや、やはりぶしつけにもほどがありますよね。 これは失礼しました。 いずれ、自分でそれを確かめることに致します。 >>307 こんにちは。 私からもお礼を言わせてください。 見てくれていてありがとです。 あとは、何かしらスレの流れに参加してくださったりすると、私と日刊氏が飛び上がって喜びます。たぶん。 地獄よりも今、言葉だけの世界よりもリアルを、大切にしなさって。 どうか無理をなさらずに、ご自愛してくだされ。 わたしは、気が向いたらレスしたり語ったりしていただくだけで、刺激となり嬉しいです。 義務とか責任とか、窓から投げ捨ててしまえ! 他の方も気楽にどうぞと思うんですが、かなりコアになってしまっていて、入りにくいかも。 でも、足跡を残してくれるだけで、嬉しいもんです。すっと、楽になった。 兄は三途の川をカエル泳ぎしていたら、溺れかけたそうです。 死ぬかと思ったとか、なんとか。 それに新しい趣味ができたそうで、それは子供が川原でイシツミをするのを、一日中ながめてることらしい。 ぷるぷると手先が震えて、石の塔が崩れる瞬間、ニヤリとしてるとか何とか。 死後の世界なんて「何もない」も「ずっとお休み」も含めて、そのうち絶対に見れるもんなんだから、どうか貴重でかけがえの無い現在を、楽しみまくろー。 あー、まー、なんとなく、なんとなーく。 お気遣いありがとうございます。 高速ナックルを投げる勢いで、義務や責任を投げ捨ててみるのも一興でしょうね。 ただ、最近うちの周りの不法投棄の取締りが強くなってきたので難しいところですが。 このスレッドは、ある意味「世界の果て」みたいなものだと思うので。 やはり、足跡を残していく方がいるだけでも貴重です。 改めて考えてみると、私もここへたどりついたのが奇跡レベルと言えます。 世界が全て因果関係によりつながれているとすれば、それはラプラスの悪魔の仕業だったのかもしれません。 >宮崎駿監督の引退は寂しいんだけど、残念感は少ないんです。 考えてみれば、確かにそうですね。 どの作品でも、やることをやりきった感があるからかもしれません。 ただ、それでも改めて残念だと思うことは。 宮崎駿監督の手による「天空山田返し」が製作される機会を失ってしまったことです。 もしも上映されていれば、興行収入は間違いなく過去最高を記録していたことでしょう。 惜しいことをした。 うーん、果てって感じで。ここは不法投棄OK。 アニメで生活していくのは大変らしいそうで、何かジブリの規格外の収益って、夢って感じ…… ○CATMAN //www.youtube.com/watch?v=qXmF0cIJAkw 検索したら発見。これはファンアート? 猫っぽさを強調した人物造形、美しい街並みと光、ダンスあたりで圧倒されっぱなしな滑らかアニメーション。 ここまで作り込む愛情も凄いし、その元となった原作の世界観やストーリーのパワーを改めて実感するぅ。 ○自主制作アニメ「恋するネズミ」完全版 //www.youtube.com/watch?v=hn7sJuuCM44 芋づる式に。 構図、カメラワーク、場面展開がとても練られていて、いい感じ。反復場面も素敵。 トータルなバランスがヤヴァイというか、隙がない出来。 物語はここまで十分に確立されてると、好みか好みじゃないって次元になって来そう。 わたしは好きです。涙を誘いすぎない、湿っぽくなりすぎない距離感とか。どうにもならない現実と、それをどうにかする救いの挿し方とか。 紅白前に、思うことを徒然に。 1Flashと声と字幕。 十年前と比べて、声アリFlashの数がとても多くなっているように感じます。 それも声優の演技力も格段に上がり、違和感なく受け止めれて。 それで、です。 字幕と声について、思うこと。 映画やドラマやアニメだと、声が中心で、字幕は無しのことが多いです。 例えば、韓流ドラマをパッと見すると、字幕と声が一緒に出ていて、とても違和感がある。 だからドラマやアニメ系は傾向として、字幕は減少していくんじゃないかなと感じます。 ただ、プロモーションビデオ系や予告編(後述のプラネテスとか)では、文字を演出として出すのは結構アリでそっち傾向と大きく枝分かれする気がします。 もう一つ、声と字幕について、忘れてはならないのが、TVゲームからの流れです。 ゲームの作品でも、最近は声優ものが増えました。 この変化はFlashに負けず劣らず大きなもので、RPGとかだと、テキスト中心のものから劇的に変わってきてます。歌も入ってきたり。 転換点は、テイルズオブファンタジアだったかな? と思ってます。 こうしたゲームだと、声アリでも字幕が付いてるものが少なくないです。 Xenoblade- ゼノブレイド【ダンバンとリキ】 ttp://www.youtube.com/watch?v=ziDV3gBlkY0 これに台詞なしのサイレントも加わり、歌系も加わり。 中々、ここら辺は熱があって、未開拓の部分で、こだわれる部分だと思います。 軸足がしっかりしないと、ちょっと辛いかも。 例えば、字幕物に後から急遽、声優を使うってFlashも少なくないと思うんですが、こういうのはもったいない。 特にアニメ系は、作る前から字幕で攻めるか、声優を前提にするかで、演出や構図がガラリと変わると思います。 (例えば小道具や情景だけ見せてセリフを吐かせると、字幕では誰が喋ってるかわからなくなるという懸念が出てきますが、声アリだと誰だか察せれる) 上手く言えないな。具体的に言うと、スニャホはどうだろう? 自主制作アニメ「スニャホ -The appli cat -」第一話 ・新装版 ttp://www.youtube.com/watch?v=_hTF-gQsACQ 自主制作アニメ「スニャホ -The appli cat -」第二話 ttp://www.youtube.com/watch?v=U6pyR-yZ_ZQ&feature=youtu.be サイレントだと「秘密」が雰囲気があって、好き。 >>107 あともう一つ、例を出すとしたら、 端ノ向フ ttp://www.youtube.com/watch?v=kcxFGeEqqgA ここに出てくる「ことり」って何のこと? ことり、小鳥、え? 小鳥って怖い? コトリ、擬音? と頭の悪い自分はなかなか飲み込めなかったっす。 あなたはどう思いました? 正解は! 「子取り」でした。 なかなかムズイよね? 立ち止まってしまうよね? 自分だけですか。そうなのか。 ただ全体からすると、声は迫真があって、とても情感と雰囲気を保ちながら演出されてるので、ほんとに瑣末な問題なのですが。 音だけだから出るネックから、抜け出せてないかなとちょいと思います。 ほかにも、Flashでの文字表現の、字幕、音声という鎖から抜け出す為に。 文字の出し方を演出を、ドバっと変えて、心情、変化を与えている作品もあります。 みちしるべ >>148 更に他にボーカロイドとか。でも、これは現時点では機械特有の硬さがあり、ギャグにしか使えないような。 でも長いスパンで見ると、個人製作にこだわる先にあるのは、ここかもしれません。 道は沢山ありますよね。 ちょっと自分は声優とか、アニメとか、声の使い方には疎いのですが、改めて自分用にタイピングしてみました。 2 WALKING TOUR ttp://www.youtube.com/watch?v=SRVFNGVnJWY 成熟した死生観が感じられる。 自分たちは命をリレーしていて、その距離は短いもの。 でもそれだけ多くの先人たちが見守ってくれていて、たくさんの人と同じ時と空間を生きている。 宝くじに何回あたっても手に入らない、出会い、共に歩み続ける存在。ほんと、奇跡ですよね。 そう思わせる仕掛けは確かに。 WALKING 「TOUR」 ぼく「たち」は歩いている。 死は決して個人的なものではない。孤独じゃない。オープンで皆と繋がっている。 そんなことを感じさせる、考え方を変えさせてしまう魅力をもった切り口、テーマだと思う。 演出面、歌詞が聞き取れる部分からのスケールの広げ方、見せ方にドキリと。 穏やかに進んでいるように見えて、実は緩急、山場がほんのりと漂う。構成の妙。 曲はいいですよね。プラネテス。 このFlashが好きな人は、是非アニメ版や漫画に目を通して欲しい。どちらも後世に語り継いで欲しい名作だと、自分は認定する。 前半はコミカルでジンとくる話が続いて、伏線と人物が配置された後半では、怒涛の展開を見せます。 プラネテス blu-ray BOX PV ttp://www.youtube.com/watch?v=I3jmgWAs-YI おひさしぶりの べてらんです いつのまにか 今年もあと少しですね わたしのほうは 白い天井と 窓の外を見る毎日を過ごしています やはり「WALKING TOUR」いいですよね ・・・うん、まだ、わたしは、あるいている。 ううううう、かける言葉が見つからない。わたしの言葉は無責任で軽すぎる。 とにかく健康は宝だと、最近、痛感させられて。 ほんと、何だろな。それなのに、レスをかけていただき、気を使っていただき、ありがたいです。 歩み、止めないでくだされば。プラネテス、ほんと凄くいいですよ。探せば、ネットで無料で観れます。違法だけど。 わたしは最近、ほふく前進ばかり。 音と声について、補足を。ボーカロイド。 デジタル音声は、この短期間でここまで進歩したんすね。 どれだけの労力と技術が注がれたか想うことも出来ない素人だけど、それでもこれは生歌のように聞こえて……感嘆。 【初音ミク Project mirai 2 テーマ曲】アゲアゲアゲイン【フルver. MV】'Ageage Again' ttp://www.youtube.com/watch?v=uwwU55zBYlQ 86 :最低人類0号:04/11/06 10:46:43 ID:rE7LP51B 最近のミートソーススパゲティの没落は、末恐ろしい。 ミートソーススパゲティは、スパゲティの巨匠であり、スパゲティそのものだから、それはスパゲティその物の没落である。 ペペロンチーノなどは、肉もトマトも入っておらず、ジューシーではなく、唐辛子などを入れておる。 全く持ってけしからん。これはスパゲティではない。語る価値は無いのだ。 ところで、ミートソーススパゲティの素晴らしさは、スパゲティその物に在るのではない。 ましてや、ミートソースにも在りはしない。 皿にも無い。フォークにも無い。コックにも無い。主婦にも無い。 では、何が素晴らしいのか。 答えは簡単だ。食べる我々が素晴らしいのだ。食べた後の我々のゲップこそが素晴らしいのだ。 そして台所や喫茶店が素晴らしいのだ。 さぁ、答えは見つかった。それがミートソーススパゲティ再興の道なのである。 まずは清潔感が溢れた居心地のよい喫茶店を建てよう。そして、優雅で華麗な食し方を身に着けよう。そこでトレビアーンと深くため息をつくのだ。 そこでゲップ。スパゲティの輝かしい過去、美しい未来がそこに在る。 あけまして おめでとうございます 2013年の 紅白FLASH合戦も 終わりました 無事 ひと仕事 終えたかな このスレも 2周年おめでとうございます 本年も よろしくおねがいします べてらん あけおめです。 紅白は、これだけ哲学的で幅広い知識を駆使し、走っていくその姿は、名乗らずとも直感でわかりましたよー。 (逆もまた真なりかな? とドキドキしてしまう) その貴重な個性、代わりのいない光、っていうのかな。健在でなりよりです。 今年は程ほどに脱力で、でも手を抜くんじゃなく自然体で、動画と接せられたら。 良いお年を! あけおめ! 紅白スレに出張ありがとうございました レビューしてくださる方がいるだけで参加者のモチベーションも変わると思います 今年もよろしくお願い致します あけおめです。おめでとう! でも、残念ながら、わたしは紅白スレッドに出張した覚えはないんです。 恐らく考えられるeventは一つ。 わたしの愛犬、YANADAdogが、犬小屋の世界から抜け出し、書き込んでしまったのでしょう。 少し詳しく設定を説明すると、YAMADAdogは、嘗てのFlash板一のエロ犬kikidogを超える危機管理能力を備えた天才犬でもあります。 ほら、YAMADAdog、オスワリ! あうぅ! orz ごめんなさい。今年の紅白は、走りたいので走ってしまいました。 今は丁度、(違法upされた)「笑ってはいけない地球防衛軍」を観ていて、ノックダウンされております。エリート塩、ヤヴァイです。 モチベーションを、ほんの一欠片であれ、自分なんかに求められると、こうした氷点下以下の末恐ろしい目にあうでしょう。ふふふ。 >>324 あけまして おめでとうございます ことしも 体調と規制にめげず 頑張りたいものです なかなか おもうように レスできないときもあるかもしれませんが ひとまず ことよろです >>325 逆もまた真なり。なるほど、そうかもしれませんね。 私が一心不乱に走っている横で、 「フィールオーライ、フィールオーライ」と叫びながら。 猛烈な勢いでスキップする人が見えた気がしたんですよね。 気のせいかと思って、ずっと横を見ないふりをしていたのですけれども。 その掛け声はどこからか聞こえていて、実は結構気になっていました。 やはり、人は一人だと心細いことがあります。そういうときに並走してくれる人がいるというのは、まことに心強いものです。 その姿に激しく励まされました。ありがとうございます。 ところで、ミートソーススパゲティが気になるんですが。 感想は大変ありがたいものなので、これからも頑張ってくださいなー >>327 いつも運営、お疲れ様です。 天国氏も、色々大変でしょうが。 なるべく負担を減らすようにして、これからも運営を頑張っていただければと。 あまりご無理のでませんように。 あー、どうもです。 今回どーにゅーした寄稿機能は、個人的にヒットでして、距離感がぐんと短く、一体感が増したように感じました。 サイトデザインは開催ちょっと前から今にかけて変えてきたと思うんですが、そこもヒット。これは、出来ればもうちょい早めに実行してくれたら。 って来年もあるのかな。あったらいいな。連帯できるスタッフさん、増えて欲しー。他人ごとだけど。 わたしは、もう頑張れない。もう頑張らない。走ったら筋肉痛で。 歌合戦を走りながら「フィールオーライ」と叫び、奇異の目を浴びながら、高速スキップを放つ。人はそれを変態と呼ぶ。 また会えました。謝々再見(えー!) 紅白スレの240ですがベテランさんや日刊さんに、 個人的にはたにツク動画の感想を聞いてみたいですね。 気に入って頂けること間違いないでしょう。 *今回、無断リンクする動画は実況主が興奮したため、音量大きめ。あらかじめ調整して頂ければ。 たにツクですかー。 自分はアンテナ弱くて、初めて聞いて、ちょっとだけ覗き見しました。 膨大な量で、時間泥棒、いや時間強盗、いやいや時間連続殺人みたいな感じで、ハマると生活を圧迫しそうなので、躊躇いがちに。 何か、このジャンルでオススメの動画があったら、誰か教えてください。美味しいとこだけツマミたい。ほんと努力が0ですいません。 あー、今年始まっても、話を逸らして自分の興味方面に誘導する、滅茶苦茶ズルい奴でありますが。 個人的に最近ヒットしたゲーム実況は「しょぼんのアクション」。かなり有名っぽい? しょぼんのアクションを(´・ω・`)とのっそり実況プレイ Vol:1 ttp://www.youtube.com/watch?v=Qoo7Awu9qSg しょぼんのアクション2を(´;ω;`)とのっそり実況プレイ Vol:1 ttp://www.youtube.com/watch?v=02fogJqMo38 マリオ風ステージクリア型ヨコスクロールアクション。 1、2含めて全部で8面くらい。 ゲーム実況はそのソフトを買う目安になったり、わからない攻略ポイントを直に教わったり、用途は多様だと思うのだけど。 この実況は実際に(フリーゲームだけど)このソフトを触りたいとは思えない、、むしろストレス溜まりまくりでヤリタクナイと思わせる類のものです。 なんというか、実況を観ていて、up主が試行錯誤する過程が楽しかったり、スーパープレイに息を呑む、プレイ自体を観ていて楽しむ。 自分の場合、そんな感じです。 このゲーム、操作テクニックが、かなーり要ります。ミリ単位で。 そして所々に配された、作者の遊び心、悪戯心、殺意の波動が、余りにも恐ろしい感じで、爆発してます。 パズルゲームのような柔軟な発想力も必要。 実際にプレイすれば一面もクリア出来ず、プレイヤーを諦めさせ、とても市販のゲームでは採算が取れなさそうな「間口の狭さ」を感じます。 でも、動画を見れば、すんごく面白くて、魅力あふれるギリギリの調整がなされたゲームだということがわかります。 それに再生数、コメント数の多さ。 更に、これはcatmarioとして海外でも、広まってます。言葉は通じなくても、心は伝わってきて。 MOST FRUSTRATING GAME EVER! - Cat Mario (Syobon Action) ttp://www.youtube.com/watch?v=0NecGquJlMU で、です。ここで「間口の狭さ」が、出てきます。 明らかにゲーム初心者、中級者をふるい落とす難易度にも拘わらず、ゲームとトークが上手な実況主と融合することで、誰もが楽しめるとんでもない人気作となりました。 多分、2chキャラ系ゲームでは、かなりのところまで広まったゲームの一つじゃないかな? 勿論、ベースのマリオでの操作のしやすさと親しみ深さがあってのものでしょうが。 つーことで、「やる夫クエスト」とかは、こっち方面に分類できるんじゃなかろうか、と言うのが最近、思ったことです。 カウンターで、ゲーム製作者とプレイヤーが一対一で対面するだけの時は終わった。皆でワイワイ楽しむ鍋みたいな。時に鍋奉行込みで。 ツクールの実況を楽しむのもそうした流れの一つなのかも。(と最後の最後で関連づけて、話の唐突さをカバーする試み) >>330 たにツクというものを、私も初めてしりました。 ぜひ、紅白スレ240氏のおすすめをご紹介いただければと。 >>330 あー、しょぼんのアクションですか。 確かに、この実況は面白いですよねえ。 数々の仕掛けに愛がある。「そう殺しに来たかw」と思わず笑ってしまいます。 あと、それでいてちゃんとクリアできるのは大切なポイントですね。 難しいだけに、それをクリアしたときの爽快感。 ゲームは、そのカタルシスをいかにプレイヤーが味わうことが出来るかが大事なのですね。 「作者の殺意と遊び心」が面白いものとしては、私は次の動画群を紹介したいです。 自作の改造マリオを友人にプレイさせる(通称友人マリオ) http://www.nicovideo.jp/watch/sm3787152 実況はないですが、その分、プレイしている友人の表情や喜怒哀楽を想像してみてください。 まさに、死に死に死んで(ry それでいて、やはりこれも、友人が上手くなっていてクリアできるところが良く出来ているところだと思います。 「人の成長」というのは、物語において魅力的なストーリーとなりますし、 それは動画でも然り。 もちろん難しさで死ぬ面白さをしっかりと描いた上で、それでいて「ただ難しいだけ」のゲームではなく。 困難にめげず再挑戦の末壁を乗り越えていく過程に、私たちの心はやはり快哉を叫ぶのです。 あー、「改造マリオ」、自分も好きです。 あのカタルシス感、スピン連発の嬉しさとか、確かに共感してしまう。 マリオの凄いところは、思うように操作できて、心の動きが画面の中にビシビシ反映するところなのかな? と思います。 プレイヤーの顔が見えるというか。遊びの原点? 何だろう、画面の中にのめり込むと言うのが、ゲームの面白さで、所謂「ハマる」と言う状態なのかな。 編集された「死に集」には笑いとともに労苦が滲んで、パワーがあります。 難易度は。うう。 クリア出来る難易度の調整ってムズイっすよねー。 多分、常人では無理、でも友人なら、ゲーマーなら、っていう所の作り込みに、妙な連帯感を感じます。 でも、クリアできないでご破産、みたいなのも、逆にイイかも。 テレビ東京の「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」って番組では、旅モノにも関わらず、目的地にたどり着く前にタイムオーバーっていうのがあって、 全体的に緩い作りなのですが、そこに緊張感があってハラハラしたりして。 でも、こうやって自分のゲーム力でクリア無理ポって言うのを立て続けに見ると、 手の届く範囲での、ゲームコントローラじゃなくキーボードやマウスで楽しめるゲームをやってみたくなります。 自分は下手の横好きというか、初心者と中級者の間、マリオ3Dワールドで取り敢えずクッパを倒せる、位の腕なんですが。 そこで、やってみたのが、 ascie art world ttp://tail.s68.xrea.com/html/movie/aaw/index.html この難易度、凄く好きです。序盤はとても簡単で、操作方法を覚えたり、色々なキャラクターを操作したりして。 そこで一つ一つの動作が細かく、キャラ別に同じボタンでも違った動作して、沢山の2chネタを使ってくるんすね。ステージも多様で。 だから動かすだけで楽しい、その世界にいるだけで楽しい、のです。 このゲームは、ただ最後の方で難易度が一ランク上がってる感じがあります。 ある程度、慣れたあとに、歯ごたえを試すとゆーか。五、六度ゲームオーバーに。 最終ステージは落下死も増えて。 特にラスボス戦は、工夫と知識がいります。 ホームページにも書いてあるのですが、基本ガードが必要になってきます。 それまでガードを使わないでサクサク進めちゃえるために、却って盲点になっている気がしたり。 (ここはラスボス戦を何とか変えて、ガードボタン削って欲しかった) その基本ガード状態で画面中央のちょっと高い所に居座り、長期戦を覚悟して、程よい距離から攻撃を続ければ、ゲームベタでも何とかなりました。 重複を恐れずに纏めると、このゲームの楽しみは 1 ステージごとの背景が多彩で、塗りも手作り風味で、次のステージが見たくなる、どんどん先に進みたくなる。 2 キャラクターの動きが多彩で、レスポンスもよく、動かしていて楽しい。 3 敵キャラも2chキャラを中心に使われていて、「物語世界」を感じる。愛を感じる。 4 難易度が初心者に向いている。親切設計。 そしてスタッフロールを見れば、グラフィック担当、プログラム担当、背景担当と、複数人がコラボしていて、 こういったゲームって、正に当時のFlash板の力を結集させた「元気玉」みたいなマスターピースだと思うんです。 こうしたコラボしたゲームが生まれるだけの土壌が、今の板にあるのだろうか。あって欲しい。アニメ系とAS系のコラボとか。交流の果てに。 >>335 アスキーアートワールド(AAW)、これはFLASH史に燦然と輝く作品でしたね。 マリオやカービィ的な、オーソドックスなアクションを2chキャラで。 王道かつオードソックス、すなわち王道ソックス。 しかし総合的な完成度の高さの面で、FLASHゲームとしては頭一つ抜けているというか。 FLASHにおけるオーソドックスな2chアクションという分野では、未だに、これを越える作品が見当たりません。 ずっと前ですが、私も、ラスボスまでは行った記憶があります。 柔らかな雰囲気の作品ですが、本当にその裏での造りこみ、練り込みが凄い。 全員がいい仕事をした「元気玉」という形容がしっくりときます。 こういうゲームが生まれる土壌、あって欲しいですね。 で、私は3Dでないスーパーマリオワールドをやっとこさクリアできるぐらいです。 そんなヌルゲーマーの自分としては、やはりプレイするゲームとしてはRPGの方がなじみがあります。 FF風のバトルで一世を風靡したのはかつてのみ〜や氏ですが、 DQ風のバトルで光るものを見たのは、私はこの作品でした。 ttp://diversion.kuronowish.com/dq2.html 何年も経った今でも、未だに完成までたどりついていないのが残念ですが。 当時は、この後にどれだけの作品が出来るのか、胸躍らせながら待ったものです。 どこからともなく、祇園精舎の鐘の声が響いてきますね。 mg氏は今、どこで、何をしているのでしょうか。 この、空の続く場所のどこかにいるのでしょうか。 いつものように、笑顔で囲碁を打っていますか? ……今はただ、それを願い続けるのみです。 たにツクには多くの人が挑んでますが中でも一番好きな実況者さんは↓ですね。 Part10までは見てほしいですがそれ以上は自己責任でお願いします。 孤児たちの里親として中古RPGツクールを実況プレイ ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm10076407 >>336 RPGって? ゲームの腕をレベル上げや戦略でカバーできるRPGは、バランスさえ間違えなければ、広く楽しめるジャンルだと思う。 そしてRPGと言えばパソコンのRPGツクール。PCで気軽にアップロード、ダウンロード出来て、素材もコミュニティも充実している。 自分はモナーRPGとクローンゲームに入り浸っていた時期があって、そこが何だかんだで荒れたあとも、ラウンジで流行ったり、VIPで流行ったり。 モナーRPGスレが落日を迎えたのは寂しいんですが、ツクール自体は未だに楽しまれている。 こういうのはFlashや動画にも当てはめれるかな、と思いつつも、強引になりそうなので留保。 とツクールが主役だったジャンルに、みーやさんがFF風のゲーム付きストーリーで殴り込んだっていうのは衝撃で。 ナイトメアシティをそうした彼の経歴を無視するかのように、FFのパクリだと叩きまくってた人も何だかなあ、ともやもやと。 FFに似てていいあじゃんと思ったり、今ではFF自体が迷走してて何だこの時の移り変わりは! って思ったり。 ドラクエ風バトルは、目からウロコでした。 自軍のキャラの顔も動き、敵キャラも動き、画面が派手で、盛り上がる展開もあって。 これは極上のバトルを組むだけで燃え尽きてしまったのだろうか。 まー、Flashって飽きるときには飽きるし、今はあれだけあったニュースサイトからの紹介も途絶え、 趣味でやってんだから、楽しくなくなったらスパッと辞めてもいいかな、って思うんですが。 どっか他でこの才能と努力が活かされていたら、嬉しいなって感じです。うもれさせるには余りに勿体無い。 私的に今でも忘れられないFlashRPGはF1ashさんのEASYRPGでした。 ttp://mit.quu.cc/game/gamepage02/016.htm RPGを彩りながらも枝葉となる部分を、バッサリと刈っている豪快な作品。 ストーリー、設定を削るだけ削り、レベルアップとフィールドを探索する面白みに、全比重をかけ、死亡してもペナルティが無く冒険ができ、 「ゲームって何が楽しいの?」と言う自分の気持ちに一石を投じられた作品。 ゲームベタでも、程よい暇つぶしを消費して、クリアできるEASYさ、緩さ。この辺りが自分には丁度いい。 >>337 たにツクって? 取り敢えず途中まで。 紹介された実況part5の途中、オヤジ狩り位まで追ってみました。ちょっとこの辺がしんどく、忍耐力と許容力のない自分は、一気見には壁。暇もありそうで無く。 何だろう。理想と現実のギャップが、悲しいほどに詰め込まれてて。 誰もが一度は「俺が考えた理想のRPGを世に出したるぜ」と意気込んで購入しつつ 「イベントって何? スイッチって何? 台詞入力めんどくせー。ゲームバランス何それ?」的な挫折を味わう人も多そうで。 タイトルだけのサウンドノベルツクールや、妙にご近所臭のする村人に、笑わせていただいたんですが。 糞フラボンジュールにも、微妙に通じるものがあって。 中古で売られたツクール作品は、敗れた夢の残骸のよう。 それに挑むのは、福袋を買うような、在庫処理と知っておきながら、鬼が出るか蛇が出るかのやったる感。 と、ちょっとポエミーになりつつ。 イライラしないように時間を取りながら緩やかにpart10までやってみて、改めて思ったことを書こうと思います。 しばらくお待ちを。 あ、あと紅白Flashが今年も楽しめるのは、とても嬉しい。 のだけど、紅白広場にマイパソじゃ繋がらないっす。 それと過去作品、すげー見つけにくい。リンクに行って、真ん中にあるので。 と言うかFlash紅白を見るという事は、大部分Flash作品群を見るってことを意味してると思うので、 トップに「過去作品」っていう専用のページ紹介があってもいいくらい。 と自分は思います。 あとは、一言だけでも、「ありがとうございました」、「お疲れ様でした」は、言っておいても損はないんじゃなかろうか。 何だろう、もう少し人間味があってもイイんじゃないかな。 昨年は楽しませていただきお世話になりました。メンバー不足の中、新しくそしてキチリとしたイベント進行、ありがとうございました。今年もよろしくお願いします。 と、自分が言っても、まるで説得力がないんですが。 参加一覧に途中辞退者を削除しないまま何年も放置とか 過去の史実をレコードをしない主催なりの伝統ですわ そしてリンクすら無くなってしまった 紅白FLASH合戦2012 たにツク Part10まで これは創作者の方が楽しめる類かな? と思った。 Flashplayerを買ったり、ツクールを買ったり、ワナビーになりつつ、挫折や創作の喜びを知っている人。 ものを作る労苦や、成功失敗の心を知っている人。 中古で売られたツクール、という時点で所謂「駄作」の可能性は極めて大だと思うんですが、それでも時間と愛情を注いだ夢の廃棄物。 それに触れる実況主もまた、ツクール苦しみを知っていて、だからツッコミツツモ楽しく語りだす。 製作過程の痕跡も見れるのも味っすね。 なんつーか、物の見方の一つを教わった。基本的に楽しもう、という姿勢があって、動画のコメント者もそんな雰囲気があって。 市販のRPGですら、叩かれまくる昨今。ゲームの可能性はゲームだけではなく、プレイヤーにもあることを、実感した。 感覚を鈍化させちゃだめっすね。 Part10以降は…… どうだろう? 自分はRPGは見るより遊ぶほうが、好きみたいで。それでまだ触れていない名作RPGとかもありつつ。 この実況主が大当たりのRPGと出会ったら、どんな空間が生まれるのだろう、という興味はありつつも、今回はここまで。すいません。 何時か観れたらと思うんだけど。でも、ゲームへの触れ方はこの動画を見た御蔭で、楽しい方向に変わると思う。ありがとう! ちなみに一番わらったのが、痛めなオープニングテロップの無限ループでした。何回、復活するんだ! >>340 >>341 まー、どうだろ。史実、伝統と言うのはちょっとオーバーじゃない? 嘗てのFlash50さんのFlash拡大流行路線は、凄まじいパワーを持っていて、当時はみんな明るすぎる未来や過去を語っていて、でも一歩間違えて、今は。 でも、まー、過ぎ去って行くものかもしれないけど、過去は過去として残って欲しいな、と思うのは同意です。 それと、これもネットのスピードならではだけど、移転とか削除とかで、過去作が見れなくなっている場合も多々あり。 それどころかサイトの行方も。更には作者の消息も。 となると、リンク先を訂正したり、初めての人が快適に過去作に触れるには、またまた手間がかかりそう。 ただ、素早いフットワークとか宣伝とかアナウンスとか、未来に向けて欲しい労力もあり、限られたものなら、今日と明日を大切にして欲しい。 大きなエネルギーを使ったばっかりだし、メリハリというか休みを取ってくれぇ、と切に思うし。 誰か、サイトデザインとか、そうした作品の編集・紹介をしてくれる人が、参加や立候補してくだされば。 でも、自分は立候補しません。過疎スレに長文を垂れ流すのみ。口だけ将軍、タイピングだけやろーです。 まさに外道!(すいません) >>337 たにツクのお勧め、ありがとうございました。 part10まで見させてもらいましたので、感想をば。 確かに、独特の面白さがあるということを感じました。 まず福袋のような、「何が出てくるかわからない」面白さがありますね。 それでいて、「当たったらもうけもの」という感じのスタンスが良いです。 出来の悪さを責めるんではなくて、出来が良かったら、ラッキー。 人生においても、そういう態度が大切だと気付かせてくれます。 期待値のハードルを下げておいて、ちょっと作ってあるゲームに当たった時のワクワク感をすごく感じさせてくれる造りだと思います。 基本的に私もRPGはプレイする側ですが、「RPGツクールDS」でツクってコンテストに出した経験があるので、 作る側の気持ちも若干ながら理解できるつもりではあります。 ちなみに、そのときには120時間かけてツクり、 評価は「敵が硬い」「エンカウントが多い」「同じ敵ばかり出てくる」「クリアできない」「微妙」 ……心が折れました。 しかしその後、「RPGツクールDS2」で気を取り直して別の作品を創ろうと一念発起。 結果は、150時間かけた末にエターなりました。 なので、何かを創るということの大変さは、それなりに感じています。 この動画群では「RPGツクールを買ったのはいいが、夢の残骸になってしまった」というのが「あるある」と微笑ましく見られました。 あとは、人のRPGを見るということ自体も、やはり楽しいんですよね。 「どういう風に楽しませてくれるんだろう?」という期待感。 加えて、良く出来ていないものが、その出来ていなさ加減が逆にシュールで面白いということも。 なんだろう、プロ野球で言ったら珍プレー、ドラマでいったらNG集的な。 たとえば、RPGツクールで。 自分が街にはいると、街の人が寄ってきて「やあ。ここは○○の街だよ」というイベントをつくろうとしたとき。 テストプレイすると、 @こっちに来たのはいいが、自分をスルーして画面外に消えてしまう。→お前はどこいくんだよ A「やあ。ここは○○の街だよ」「やあ。ここは○○の街だよ」「やあ。ここは○○の街だよ」と連打する。終わらない。→そんなに言わんでも分かる こんな感じで、ひとりでツッコんで爆笑してましたw そういうことを、色々考えさせてもらえた作品群でした。 私が時間が取られる作品群を見ることを少なくなったのもあり、視野を広げられるご紹介でした。ありがとうございます。 他にも、紅白スレ240氏のお勧めの作品や、FLASHに対する見解など、色々気軽に書いてもらえれば何かしら議論が深まるところもあるかなと思います。 議論が深まらなくても、少なくともこのスレの燃料となりますので宜しくお願いしますw 気付けば一週間も間を開けてしまいましたが、 折角感想を書いてもらったのでこちらも返信を書かせて頂きます。 >>339 >>342 絞りきれなかったとはいえ貴重な時間をさいてしまったようで、 やはりPart10は多かったと今になって反省してます…。 創作者の方が楽しめるという感想は意外な答えで、 こちらとしては全く意図した訳ではないですが妙に納得してしまいました。 そういう意味では創作者以外の人達も楽しんでた頃が好きな人には、 何とも複雑な心境にさせてしまったかもしれません。 プレイする方が好きならもしよければたにツクもプレイしてみてほしいですね。 >>344 >>345 ツクールDSのコンテストに作品を出した経験があるくらいなら、 この雰囲気にもすぐに溶け込めるでしょうね。 確かにNG集的なよくできてなさが面白いんですけど、 それでもよくできてるものを求めてるところが何とも絶妙なバランスですね。 色々気軽に書いてもらえればとのことですが、 今のところこれだというものもないので気が向いたらといった感じでしょうか。 気が向いた時に来てもここが続いてたら何よりです。 あー、あれっすね。ツクールには初心者殺しというか、手軽に見えながらも複雑な説明書やガイドを読まないとワケワカメってのがあって。 自分もちょっとだけふれたことがあったのだけど、挫折していて。完全に外の者ってわけでもなく。申し訳ない。 ツクールといえば、VIPRPG紅白2013が今年も開催されました。 ttp://vipkohaku2013.web.fc2.com/vote0.html こういうのにも触れていたいのだけど、躊躇があって後回しに。そんな時ランキングやレビューがあると、目安となり嬉しく。 逆転ザックやってみました。30分ほどに収まる丁度いい軽さがあって、会話の楽しさやシナリオもしっかりしていて、中々の名品。 逆転裁判5買ってみました。楽しかった。 Flashの紅白2013。YAMADACATの気になった対戦カードを復讐。うわー、やー。 Merry Go World -independent animation- ttp://www.youtube.com/watch?v=buo48cKhX5A スルスルと溶けていくように、心に染みる作品。分かりやすい。 かと言って直ぐに飽きてしまうような単調さはない。 労力は地味にかかっている。でも、それを醤油ドバドバと見せつける訳ではなく、噛み締めるごとに新しい喜びがある。 ピエロのような儚げな曲と色彩から生まれるだろう空気感、更に左から右へとスクロールし続けるカメラワークの安定感。 それを挟む冒頭の一言と、オチも相まって、とてもとても哀愁ある雰囲気に浸れる。 だけだろうか? これを作り出すテクニックや労力が隠されているんじゃないだろうか。 この物語、夜の遊園地から始まり、やがて朝が来て、昼になる。 一見目では気づかないほどにさり気なく。 それは抑えた色調にあるのだろうし、敢えて時間経過に焦点を当てない演出にもあるのだろう。 心憎い。 背景にはさり気ない遊び心がある。東京スカイツリーに、国会議事堂に、競馬場。 頬を緩ませると同時に、高さ・政治・速さと、競争社会的なものを取り入れて、画面を賑わせながら、オチの切なさを深くしている。 他にも飛び立つ鳥の群れ、澄んだ湖、森の中や街の中にいると実感させる手前と奥行きを意識したシンボルの配置。 車は走り、電車は通り、花吹雪が散る。 緩やかな曲とは相反して、二分という時間の短さに甘えない、飽きさせまいとする強迫観念にも似た動画としての配慮を感じた。 心憎い。 そして、やはり特筆したいのが、カメラワークの妙。 左から右へと、淡々と進むようなカメラ。 に見えて、車や馬の刺激を受けて、微妙に加速や減速をしている。でも、決して繋がりを否定しないさり気無さで演出されている。 この淡々とした感じが、とてもメリーゴーランドらしく、それがオチに繋がった時の驚嘆が深まる。 一定したテンポに安心しながら、馬さんの旅を見守れる。世界を旅している気になる。 しかし、それは最後の最後で裏切られる。 逃避行の行くすえのゴール。ゴール? え? と戸惑わせながら、身近にあった筈のカメラは鳥瞰し始め、ぐるりと回り込み高く高く飛んでいく。 身近にあった筈の世界の、そう思えたからこそのショッキングな別れ、離れていくカメラや神にも似た作者の視点からのサヨナラ。 地球一周する人は真っ直ぐに道を進みながらも、やがて同じ場所にたどり着く。世界は円で出来ている。 そこまで行かない自分でも、相槌を打ってしまうような後味がある。 『人生はメリー・ゴー・ランドのようなものだ』 流石に馬のように先へ先へと歩み続けるような、足や気力は無い。 でも、皆と同じように流れ行く時間を私たちは共有し、生き続けている。否応なく。 少しでも前へ行けたらなとは思ってたけど、結局は毎日を、夜明けから日没まで、回転し続けているだけなのかもしれない。 (おっと、ちょっと思った。この作品、もうちょい足して夕日や夜まで、一日を描ききっていたら、最後と最初がループして、より心を打ったかも) 最後は、あんなふうに世界を見つめて生を終えたい。どんなに苦しく切なくても。眠れる奴隷でいたい。目覚めることに救いがあるような。 Schrodinger’s Cat ttp://www.geocities.jp/leonard08091/schrct アクションが主体。 でも滑らかアニメーションとは行かず、所々、動きが止まっている。 だけど、それが味になっている。静と動の対比のように、アクセントになっている。 それを支えるカメラや構図、これは本当に新鮮で飽きさせない。 Flashでは、見慣れていない、使い古されていない、キレッキレのアクションをしてるんすね。私が感じるに。 そして曲が雰囲気を作っている。merry go world でもそうだけど、幸せな出会いをしました。 映像を引っ張る力を音が持っていて、音だけではなく、声の強さや曲調と同期していて、マッチしている。 その使い方にも工夫の跡が。 途中ではぁはぁと息切れを入れることで、曲をリセットして、終部でのあの揺さぶるサビとの一体感を生み出す。 この作品は絵に荒さがあって、今回は迫力として活かされている。 ただ、同時にこの個性を保ちつつ、更なる境地へと磨ける画力向上の余地は、十分にあるようにも思う。 出来れば、ナイトメアシティや救世主猫の方向には、行かないで欲しい。丁寧に小奇麗になってしまったら、失われてしまうものがある。 人気は出るだろうけど。だけどそれでも。 何だろうね、表情というか眼がいいっす。気持ちや感情や心、もっと言えば魂がこもっていて、息づいている。 さて。この作品は作品内でのリアリティーをどれだけ出せたかを観てみると。 アクションシーンや話の切り方に、その気遣いが行き届いているんだけど。 序盤にフィクションっぽさを強調してしまう部分が残っている。 身代わりの術である。忍術でございます。 カカシ作ってるフサギコの不似合いさにクスリと来たり、ちょっとセコイナーと。 ストーリー。サイレントで何処まで伝わったか、自分なりに。 ・ギコとフサギコは殺し屋。それも互いに一方的に始末する凄腕の。 ・黄色のモララーっぽいのが、手配書でギコにフサギコを殺すことを、携帯でフサギコにギコを殺すことを依頼している。 ・そして互いに傷つけ合い、殺し合う。 ・その結果を見つめる観察者としてのモララー。結末は彼だけが知っている。 その無表情さから、同士打ち、計算通りだったのかな、と妄想してしまう。 やっぱ、どす黒いよモララー。私の妄想はピンクなお花畑。 >>346 どうもでした。 ここは気長なスレなので、たぶん気が向いたときにもあると思います。なかったらドンマイ。 大雪のニュースがありましたが、ここは大雪の中にたたずむ小さな山小屋みたいなものだと思います。 ゴージャスではないかもしれないけれど、一応毛布が置いてあり、暖炉に、パチパチと薪が燃えている。 凍える吹雪とか、台風とか、宇宙人の襲来に遭われたら。またいらっしゃってください。 >>350-351 >Schrodinger’s Cat 中々の力作でしたよね。アクションの迫力に見入ってしまいました。 キレっキレのバシっバシ。死に物狂いで戦う表情の描き方も巧みです。 絵の粗さも、ここでは心情と結びついてプラスに働いているのも同意です。 ただ、やはりそのアクションを生かすストーリー描写という点では向上の余地がありそうですね。 タイトルが「シュレディンガーの猫」ですから、研究者がいて、中で二匹が争って、ふたを開けるまでどちらが死んでいるのか、いないのか分からない。 それを描写していることまでは何となく理解は出来るのですが。 それ以上のバックグラウンドが読み取れないのがもどかしい。 「シュレディンガーの猫」って、私にはFLASHのアイデアとしてはすごく魅力的に感じます。 それを文学的に捻ってくれたら、よりアクションが引き立つのかな、と。 「救世主猫」も「ナイトメアシティ」も、ストーリーが多少分からなくても、 「ギコがしぃを護りたい気持ち」が伝わってくるので、そこで感情移入が出来てしまう。 王道がゆえの卑怯さといえるかもしれません。 もちろんそれを後追いする必要はありませんが、「何故戦っているのか?」→「仕事の成り行きで」「シュレディンガーの猫がモチーフだから」 だけでは、多少物足りない部分があるのかもしれない。 そんなことを私が思った確率は50%、思わなかった確率も50%です。これは1:1で重なり合っている。はてさて。 まー、なんつーか、ジプシーなわたしは毛布に灯油を撒いて、ぼろぼろになるまで放火して何食わぬ顔して別所に移る、なんてことがありそう。 よく続いてるな、と我ながら感心。 何時か来る熱血ハルマゲドン後も、あなたなら焼死しないで一人でも生きていけるっ! 笑止!(冷た) >アクションとストーリー っていうのはホントにさじ加減がムズイっすね。 良くある話にすればブルースリーやジャッキー・チェンみたいなヒーローが居て、魅力的なボスキャラが居てなど。 家族を守るとか、復讐とか、形見とか、強いってなんですかとか。 でも、そういうのを掘り下げると、善悪、敵味方がはっきりしちゃって。 で、シュレディンガーに関しては、そこら辺の色付けが凄く曖昧で、ギコでもフサギコでもどっちにもつかず、つまりどちらも応援せず、俯瞰しながら観ていて。 それで勝敗ついたー! と思いきや、イベントが続くってことでカオスに落ちていく。 そんな螺旋、殺し合うこと自体の虚しさ、虚無感。みたいなのが、ストーリーなのかなとも思えます。 じゃー、なんだろう。緩急の緩の部分でもうちょい取っ掛りがあれば、受け入れやすくなるかなと思いながらも、 今作のこの不純物が少ないアクションや、感情移入させないあやふやさも捨てがたく。 これはこれで好きな、私みたいな人もいる。でも、なー、なんだろなー、インディーズっていうかマイナーになっちゃうんだろうなー。 やっぱメジャーでロックンロール歌うってのがなー。盗んだバイクで走り出すー。 そんなメジャー進出に関して、最近、凄く嬉しいことと悲しいことがありました。 嬉しいこと ttp://www.youtube.com/watch?v=k9IXFr-1jT8 悲しいこと ttp://matome.naver.jp/odai/2137144725518429201 うううううう、自分はフジテレビの目覚ましTVを見て、すげー好きになったんで。朝一番に脱力できて、ほんのり幸せで。 shockwaveファンなら泣けるあのROBOT(zoo keeper)と青池良輔さん(CATMAN)との豪華スタッフ。 メディアミックスでブームになる兆しもありあり。 でも、やっぱり声優・脚本の幹にいて、あの緩さと間を作り出した監督さんが志半ばに出て行ってしまうなんて、悲しい。 TV予算を貰ってこれ以上のどんな豪華スタッフになっても、ロペくんとアキラ先輩、ダメになっちゃうんじゃないかなってすげー不安で。 そんなら地道に活動していて欲しかったって想いがありながらも、何せ知ったきっかけが、その、めざましTVだったもんで。 ジョイフルランドの曲を聞きながら、しんみりしようと思います。 >>353 んー、そうですねえ。 ハルマゲドンが起こったら、また山頂から雲の行く末を見届ける毎日に戻るのかな。。。 もし何か焼きたくなったときには、私に言ってくださいね。とっておきのパン焼き器を貸しますので。 ただ、焼死というか、笑止というか、少子化というか。 ハルマゲドンが来る前に、今私は腹痛で逝ってしまいそうです。アイテテテ。 ひとまず正露丸を飲むことにしますが、次に書き込むときに生きているか逝ってしまってるかは、1:1かな〜、という感じはしてます。 それでですね。 なるほど「感情移入させないあやふやさ」というのは、言われてみればそれも魅力になりえるのでしょうね。 不純物が少ないアクションとして魅力があるというのも、ごもっとも。 それを聞いて、FLASHには「芸術」と「作品」という二つの方向性があるのかな、と改めて思いました。 「作品」というのは、作者が何かしら伝えたいことがあって、それを表現する手段として「作品」が出来る。 「芸術」というのは、何かしら爆発するものがあって、それが結果として形になって「芸術」になる。 私はFLASHを「作品」よりのものとして捉えており、日刊氏は「芸術」よりの捉え方をしているのかなと思ったり。 そんなことを思いましたが、どうでしょうね。 後は、かつてかなりの冊数を読みあさった星新一ファンの自分としては。 今日(昨日?)の土曜プレミアムでのドラマ化は限りなく残念な感じでした……。 FLASHと重ね合わせて考えれば。 テレビで放映される数十分から数時間のドラマよりも、断然、数分のFLASHが面白いこともあるということ。 そんなところから糸口があればいいなと。 あー、何かナンが食べたい。パンよりナンが。 あんまり負担にならない自分なりのスタイルを見つけて、その結果、場所が生まれれば、それでそこにナンがあれば。 でもわたしは登山よりも、昼寝をしたい。疲れたなら眠りましょう。冬眠しましょう。 「作品」と「芸術」ですかー。 うー、なんだろー。自分はその日の気分とその時の印象で、ばーっと感じたことを書いて、そこに根拠や理由を添えてって感じで。 そうゆーのが、芸術は爆発だ! ってなるんだろか。 自己分析すると方向は「食品」って感じな印象です。美味しかったり色んな味を楽しんで、そんでエネルギーになって、血や肉や骨になってくれたらって。 じゃー、そうして生まれた感想は? 排泄物? あー、あー。 縛られずに心の赴くままで居ようと思ってます。 わたしは土曜日はBSで「スタンド・バイ・ミー」をながら見してました。 やっぱり陽気なようで陰のある雰囲気と音楽と幸せと寂しさと哀愁に、じぃんと為りました。すげー、映画です。 この映画も原作はご存知、巨匠スティーブン・キングの短編小説が題材になっとります。 で、まー、音楽といい、ストーリーといい、狭い場所で必死な子供たちといい、心を震わせ、最後にあの歌で、うわああああと。 ダーリン♪ ダーリン♪ スタンド・バイ・ミー♪ なんでしょーね、文字(小説)→ビジュアル(絵化)→映像(アニメーション、音)と、それぞれ加工を間違うと、目も当てられなくなる感じで、 あああああああ! となるのでしょうが、上手く行きさせすれば、原作そのものの雰囲気や、原作と違った映像ならではの雰囲気を生み出せる。そんな あああああ! ショートショートみたいな短いFlashで魅せてくれるのはモナ倉さんやnamidaさんが、多作で、色々チャレンジしていて、好きでした。 寧ろ逆に満足だろ 他に別に満点だろ 当然正反対に満腹だろ あけまして おめでとうございます 2014ねんが あっというまに すぎていき このスレも 3しゅうねんを むかえた ようですね ひとつのじだいが すぎさった いまは そんなきもちに ひたり なんともいえない さびしさを かんじる でも どこかに すがすがしさも ある それは せいいっぱい なにかしら やりきった からかな ときの ながれ は さらに ゆっくりに なって いきそうです が ほんねん も よろ しく おね がい します べてらん 加藤登紀子さんの「百万本のバラ」について。 新聞で本人のコラムが出ていたので、ここに残しておきます。 >デビュー50周年を迎えました。 >今年は、1980年代に大ヒットした「百万本のバラ」を改めてテーマに据え、活動するつもりです。 >もとは、旧ソ連からの独立を訴えていたラトビアの詩人が、大国に影響され続けた小国の悲しみや絶望感を詞にしたものです。 >その後、旧ソ連の詩人、ポズネセンスキーが、グルジアの貧しい画家の人生をロシア語で詞にまとめ >「百万本のバラ」として発表し、80年代末、旧ソ連全土で大ヒットしました。 >この頃、東西冷戦が終わり、旧ソ連は崩壊し、大きく世界が変わっていきました。 >不思議なことに、歌というものは、歌詞が変わり、国を越えても、元の曲に託された思いが残るものです。 >そして対立や悲しみを普遍的な愛に変え、人々をつなぐ力があります。 >「百万本のバラ」は、そのような力を持った曲ではないかと思っています。 >そして、この曲には、「報われなくても、信じた希望や理想を持ち続けたい」という熱い気持ちがあふれている。 >「国や民族の対立、格差が広がる今の時代に、もう一度聞いてほしい」。 >そんな思いで、6月にはラトビアの交響楽団を招き、「百万本のバラコンサート」を開催する予定です。 >一昨年12月から、毎日新聞朝刊に掲載されている「おんなのしんぶん」で、 >対談「Tokiko’s Kiss」を続けていますが、歌と同じように会話を通じて、 >普遍的な愛を込めたメッセージを届けていきたいと考えています。 (2015/2/20(金)毎日新聞) read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる