■紅組 
・サンセット 「あの日からの消費と反復」

これは中々に名状しがたい作品と見せかけて、しっかりとコンセプトが考えられている作品。
ただ、そのコンセプトが具体的な形であるかというとそうではないので、シュールさを楽しむ一面がまずあるといえる。

そして、もう一つの側面は、社会問題について考えさせられるという点である。
あとがきで「震災の記憶の消費財化が、ポスト3.11の1つのテーマになるのではないか」
と明確に書いてくれているのは、内容を理解したい観客としてはとてもありがたい。
そして「大量生産・大量消費社会」に対する提言として捉えて欲しい、というような部分も、私には首肯できる。(正確に捉えられているかは分からないが)

かつて、ヴァルター・ベンヤミンという思想家は『複製芸術時代の芸術』において、「芸術」というものの「一回性」が失われたと述べた。
かつての「芸術」には、「一回性」という「アウラ」(要するにオーラ)がまとっていた。
しかし、大量に複製が出来て、それが消費される資本主義の社会において、その「アウラ」は失われてしまいつつあるということをベンヤミンは指摘する。
例えば、「絵」は、画家が丹精を込めて書き上げるものであり、「同じ絵」を描いてもらおうとしても、「全く同じ」にはならない。
「劇」なども、全く同じ公演をしても、必ず人間的な誤差が出るはずである。

しかし写真や映画などは、それを複製し、繰り返し反復できるようになった。
これは、一面ではいいことである。
ベンヤミン自身も、決して一方的にアウラの喪失を批判していたわけではない。
しかし、その問題意識の萌芽は、「大量生産・大量消費社会」批判へと確かにつながったのである。
「震災」という痛ましい過去さえも、「大量生産・大量消費社会」にからめとられていく。
私たちが出来るのは、ひとまず、それをまず知覚することなのであると言えよう。

ともかく、いろいろ考えさせられた作品だった。
個人的には、もっと分かりやすさを追求して欲しいが……まあ、作風もあるのだろう。
社会学的な視座を持つ作品は貴重なので、ぜひこれからも精進を重ねていって欲しい。