>>65
俺は >>5 で命名法を全否定したつもりはないけどな。
システムハンガリアンというか、 >>4 の「型と意味の二重の思考」を批判した。
部分的にはアプリケーションハンガリアン的なものは有りだと思ってるよ。

型は当然に意味を表すために付けられる (べきである) し、
名前は (なんらかの命名規則によって) 意味を表すようにする、
結果的に名前が型を表すこともあるけれども、
一貫して「意味」で考えればよいだけというつもりだった。

意味 → 型、名前

で、>>8 で「型は意味だ」ということが述べられていたので、

意味 → 型 → 名前

というつもりなら、中心に据えるレイヤが違うんだろうな (でもやってることはそんなにかわらん) ってことで、
な〜んか腑に落ちないけどまあいいやという気持ちが >>11 って感じ。