昭和時代ならイベントでなくても工場なり機関区・電車区でもよほどでもない限り
記帳して中に入って撮影できたからな。
さらにお目付け役の職員が検修の人だとマニアックな話で盛り上がって楽しかった。
さらに廃棄処分する情報藁半紙、現行ダイヤグラムも内緒でもらえた

84-90年くらいまでは現場側もかなり好意的に公開やイベントを企画してくれたが
2000年代に入ると平成生まれの連中の暴走が目立ち始め、さらにゆとり世代の
我慢を知らないわがままっぷりを発揮しついには親子のみ抽選という現場からの
バカ排除に繋がり自分から門を閉ざす行動ばっかりしやがったからな。