個人的経験から

昭和50〜60年代の阪急・梅田駅では「急ぐ人のために
左側空けてね(意訳)」 のアナウンスがエスカレーターと
ムービングウォーク(動く歩道は日立の登録商標です)で
案内されてみんな左側を空けてた。たまに東京等からの
地方出身の田舎者が塞いで立ってたが・・・・後方からの
歩行者が指摘すると「なんであけねえと、いけねぇんだよ」
と、訛り丸出しで威嚇する奴ばっかりだった。

 平成元年頃、東京駅中央線のホームが高架になり、みんな
並んで立ってた。だが年が明けて2年には、立ち止まってる人に
「ちょっと、通して」」と言って歩くのが増えだした。夏を過ぎると
右側が空くようになり、それは数年で都内各駅に広がっていった。

昭和63年に関西から関東へ引っ越した者です。当時、東京駅の
京葉線への動く歩道で、みんな塞いで立ってたのに内心イライラ
しながら したがってました。