【お客さん】第44宮脇俊三スレ【どこへ行きたいの】
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>>713
本人は大阪出身だけどルーツはやっぱり鹿児島らしい 氏なら、今後も増枠傾向のW杯をどう思うか?
作家としての最盛期、82年スペインW杯をどう見たかな? テルミニ宮脇じゃないけど、
トキワ荘見に行って松葉でラーメン食べた人、いる?
いしいひさいちの仲野荘、見に行った人、いる? >>717スレ違い
竹の塚の団地にでも行ってもそもそとパンをかじってろ 富山港線に乗るためにタクシー飛ばした所の道じゃないか 世の中にひとの来るこそうれしけれ
とはいふもののお前ではなし
これを見て満足して帰るくらいでないといけないのだろう。
恐怖の狂人この家に住む
万人注意! >>716
ワールドカップといえば、あのオープニング映像で走ってる機関車は、シベリア鉄道をイメージしてるのかな。 濁河温泉で土砂崩れだそうだ。
脱衣所ごと露天風呂が流されたらしい。
30年前と違い、飛騨小坂からの路線バスは既になく、夏のわずかな期間のみ、木曽福島から運行されているという。あとは旅館の送迎バスが高山まで行くようだが、公共交通機関で訪れるのはえらく不便になったらしい。 金曜日に落ち着きがなくなるのは、来週の金曜日の指定券を買うか買うまいかと思案するからである。 前スレのタイトルが「鯉が名物」云々で
我が新潟県の村松がディスられてたが
こないだ米沢に行ったら彼処も鯉が名物で
お土産で鯉の切り身の甘辛煮も売ってたな 近所のスーパーで生ワカメ(天草産)を二割引で売ってたので、3パック(約300g)買ってきた。
ふだん乾燥ワカメを戻したのしか食べてないので、さすがにうまい(味はないけど)。 今日の鉄腕DASHで舞台となった東かがわ市は宮脇先生の父長吉氏の故郷。
時刻表昭和史第3章を初め、著作の中にも何度か登場している。 宮脇氏は鉄道ファンにとって(もちろん私にとっても)神様であり、「宮脇さんの紀行文にも、サハリン号なんて呼び名は出てこないじゃないか」と突っ込まれないとも限らない。
ttps://kadobun.jp/readings/291/e0652201 >>736
この筆者は中公新書から廃線の本を出してるんだね。 >>739
狩留家と白木山の間らしい。
広島に近いところで利用者もそこそこ多いから、頑張って復旧させるだろうな。
備後庄原以遠だとどうなることやら。
備後落合と備中神代の間ならかなりの確率でそのまま廃止になると思われる。 http://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=446132&comment_sub_id=0&category_id=256
あと、呉線と山陽本線も被害に遭ってる。
まあ、こっちは芸備線以上に早急に復旧させるだろうけど。
特に山陽本線は、貨物輸送への影響も大きいし。 鉄道は貨物を運ぶためのものだ。人間なんかついでに乗せてもらってるだけなんだ。 そのJR貨物は、ついでなはずの旅客のみを扱うJRから線路を格安で間借りする身分
宮脇翁は国鉄改革について、あまり語っていないよね >>743
当初はマスコミからも意見を求められたが、愛好家としての立場と経営視点の板挟みになり、
煮え切らないコメントを続けていたら、マスコミがスルーするようになったみたいな事を書いてた記憶がある
著名人では、永六輔氏らがガチで先頭に立って反対していたけれど、
出版社常務という経営側の苦しみも知っていた氏は、考えはあったろうけど、軽々しく語らなかっただけだと思うよ 川本町も大水害と聞く。
仮に今年、三江線が廃止にならなかったとしても、この水害で長期運休→そのまま廃止となった気がする。 最長片道切符を読み返す
自らの成長とともに新たな発見があるのが凄い 阿川大尉のお早くご乗車ねがいますを今頃になって読んだけど
架空の座談会形式で書かれた「鉄道研修会」
宮脇先生の「国鉄全線大集会」のモチーフになったのかなあとニヤリとした
ミヤワキストの皆さんにとっては「わかりきったことをいうな」かも知れないが きのう放送されたテレビ東京系「昼めし旅」で、石田靖が佐田岬半島の三崎港へ行ってた。
鉄筋4階(一部6階)建ての立派な民宿を訪ねてたけど、もしかして宮脇氏と藍くんが泊まった所かな。 昨今の創作物は
その本体よりもそれについてのコメント方が面白い
というケースが多々ある
宮脇文学の少なくとも初期に関しては
本文の方が絶対的に面白く再読に堪える >>752
俺もそう思った。
クオリティの高い本だよな。 >>756
ここは、宮脇スレです。種村スレはもっとあっちです。 >>751
寿司屋で握り寿司を食べていたら、隣に座った女性が「鰻重」を注文。
しかし、売り切れとわかると出ていかれた。よほど食べたかったのでしょう。 宮脇氏「私はウナギは好きだが、あの匂いの中で寿司をつまみたくはない」 >>760
そうなんだよ。
寿司屋と鰻屋が同居しているという時点で、>>759はあんまり都会じゃないと分かる。 そういや最近種村スレの中の人、粘着してこなくなったね。 今時寿司屋鰻屋天ぷら屋兼業なんて限界集落にもないでしょ
それらが全部置いてある大きな食堂ならあるだろうけど
宮脇氏が言うのは個人経営のカウンターの店のことだろう 「岩日線など大雨で流されてしまえ」
現実には岩徳線がそうなってしまった訳ですが。 >>759
同居しているわけではない。
ちゃんとした寿司屋ですが、なぜか昼のサービスメニューで鰻があった。
一応、大阪市内ですが。 鰻の話は何の作品だったろうか
歳のせいかもう思い出せなくなってる >>764
名古屋市中区にもまだあったりする。東京にはもうないのかな。 JR完乗は、
国鉄時代より格段に簡単、
ってこと? 2万キロ切っちゃったもんなあ…。
一応自分は宮脇御大の影を慕おうと旧国鉄(松浦鉄道等)や旧国鉄計画線(井原鉄道等)なんかも含めて完乗を目指してる。 きっぷ類は昔のが充実していただろうけど
北海道や北九州などの路線図みただけでやる気が失せるようなところが
減ったのはでかいよね 天変地異で路線運休が続いているので国鉄時代よりも実は完乗は難しくなっているのかもしれない。
運休路線が全く無かったのは最後はいつだったのだろう。
休止のまま廃止となると完乗地点自宅ということになってしまう。
岩泉線が廃止されたときは実際そういう人かなりいたのではないか。 >>781
2010年7月31日に岩泉線が土砂崩れで運休になる前はしばらくの間、
災害長期運休区間は無かったのでは?
その前は高千穂鉄道が2005年9月から運休→廃止
越美北線が2004年7月から運休→2007年6月全線復旧 JR北海道未乗区間
・札沼線 あいの里公園ー新十津川
・日高本線
・留萌本線
・富良野線 名松線の運休が2009年10月からですね。
越美北線復旧から2年4ヶ月、高千穂鉄道廃止から10ヶ月の間に完乗できた人は運がよかったということか。 JR西日本のサイトによれば、新見〜備後落合は年内に運転再開予定らしい。
そのまま路線廃止も危ぶまれていたが、取り敢えず何とかなるということか。
狩留家〜備後落合と府中〜塩町の復旧にはかなり時間がかかるようなので、三次は当分、鉄道のない市になるな。 >>785
三線が合する駅で
一線が廃止された直後に残り二線が不通か >>785
三次では、みなさん猛然と「ハンバーガー」を食べて支援しましょう。 三次駅のハンバーガーはドムドムだったのだろうか。グリコアだったのだろうか。 現在の三次駅前はバスターミナルの2階の「たむ商店」でお好み焼きを食べるしかない。 あのお好み焼きは結構うまかったけど11時開店なのでそれ以前に到着すると
あとはコンビニまで歩くしかない。 三次駅は91年に立ち寄ったきり
たしか駅舎の隣にあった気がするお好み焼き屋で遅い昼食を摂って三江線に乗ったけど
そんな店も無くなって、すっかり変わってるんだろうな
バーガー屋もあったのか 三次駅は2015年に橋上駅舎に改築されたから、
宮脇翁が見た駅舎はもう無いんだよな。
Wikipedia見てみたら、先代駅舎は1978年完成だから、宮脇翁は先代駅舎の新築直後に訪れている事になる。
今改めて『最長片道切符の旅』の該当部分見てみたら、「新装成った三次の駅舎」ってちゃんと書いてあった。 >>794
東武春日部駅が未だに橋上でも高架でもないのに
全列車運休中の三次駅が橋上駅なのか
因みにドムドムバーガーのインパクトで
三次は昔から橋上駅と脳内変換されていた >>795
取材ノートには、三次駅での記載はないですね。 >>793
徒歩5分のサングリーンの「一休庵」なら9時半からお好み焼きが食べられるみたい。
https://tabelog.com/hiroshima/A3405/A340501/34022599/
(↑)食べログの口コミに鉄オタの書き込みがw 14年前に訪れたときは家が立ち並んでいた備後落合駅前
最新のGoogleマップで見たらスカスカになっていたのが寂しかった
元駅前旅館の建物は健在だったが >>799
備後落合なんて、今は駅以外人家はあるかなきかだろ。
おでんうどんは15分くらい歩いたドライブインで売られてるらしいが。
というか秘境駅認定されるくらいだから、実質的には芸備線と木次線が分かれるだけの信号場みたいなものになっているのだろう。 >>792 >>798
「たむ商店」が何だか気になる。
>>800
検索かけてみると、入っているのがどれも「玉子、スジ肉、厚揚げ、海苔」ですね。
リクエストできるらしいですが、どれも同じだった。 今日12時20分の「サラメシ」再放送のエンディングは、宮脇先生が愛した駅弁。 「たむ商店」は、意欲的に福岡市に支店を出したが、長続きしなかった。 >>802
社員食堂のテレビにいきなり氏の顔が映ったからびっくりした。 今年は「最長片道切符の旅」からちょうど40年なんだな。時代も変わり鉄道や旅を取り巻く
情勢も恐ろしいくらいに変わってしまったなあ。 >>810
40年も経てばねぇ。
昭和53年当時に、40年前の昭和13年を思い起こせば似たようなことを思うんじゃないか。
もっとも、昔と比べて変化のスピードが増しているから、同じ40年でも変化の度合いは違うだろうが、いずれにしても40年も経てば世の中大きく変わっているだろう。
そういう810は40年前、何してたんだ? これから先起こる大きな事って・・
リニアモーターカーの登場。
JR北海道の倒産。
青春18きっぷの廃止。 JR北は潰れはしないぞ。精算するだけ。
あとな、電車通学ってものがある限り、閑散期の普通電車専用の、マルスで印刷するだけで丸儲けのきっぷなんか廃止しないよ 大学生で集中講義出席の時、通学定期代わりに18使ったなあ 810ではないが40年前はブルートレインブームで鉄道に目覚めた小学生だった
40年も経てばブルートレインが完全消滅も仕方がないか
その当時からわずか9年で国鉄が消滅してしまったわけで 阿房列車が1950−55年だから
宮脇氏の「最長」まで20数年。
その間の変化の方が、
その後の40年より大きく感じる。 >>813
ムーンライト全廃以後
青春18のための投資って
大垣米原間の増結くらいだもんなw 40年前ってIT関連は比べ物にならないけど
生活基盤はさほど変わってないからな
郊外の住宅地から電車通勤のサラリーマン塾通いの子供
ファストフードやスーパーマーケットもあったし
飛行機や海外旅行もまあまあ一般的になってた頃
その頃の103系115系485系なんかも最近まで走ってたわけだし >>817
いや、相生-岡山もいつの間にか3両が7両が状態化 阿房列車では
踏切で待ってる人たちが
番傘に下駄と書いてたな >>818
西じゃ103も115もまだまだ健在だけどな。
奈良線なんかこないだようやく103の置き換えが始まったと思ったら国鉄型の205だぜ。
JR発足して30年以上経ってまだ国鉄型を国鉄型で置き換えるとは思わなかった。 あの205系、阪和線のお下がりだからな。
在阪の鉄道会社はステンレス車なら半永久的に使えると思ってるらしい。 昨日、朝日の夕刊(東京)に名前が出ていた石田穣一さんて、
沖縄にいたあの石田さんかな? >>824
石田さんの妹さんが長崎で被爆して、
その体験を昔本にした。
本は出版したけど、直接語ることは長年できないでいたが、最近になって後生のために語るようになった。
最初に執筆を勧めたのが、兄の穣一さんだったという。
穣一さんが元裁判官で現在90歳ということで、もしかしたらと思った。 >>825
ああそれなら本人で間違いないね
石田穣一氏本人は旧制成蹊高校の学生だったので長崎へは行かなかったんだよね 英雄俊傑と一二三四の組み合わせ(ただし4は生まれず)じゃなかったっけ >>828
ああ、いや成蹊かどこかの同級生で仲がよかった三人がいたってこと
JR東日本の住田さんだっけか >>828
息子にそんな名づけを予定していながら
奥さんが俊三君を身ごもったとき、「またか」
そりゃあないよ長吉さん・・・ 「傑四」ができたら「もういいよ」となったのか。
阿川家もひとりおろしていたっけ。 We were TTTT
We love Train Travel 私だって、五木ひろしの面相はいただけないが歌唱力は群を抜いている、といったぐらいの鑑賞力ならある。 ttp://portal.nifty.com/kiji/180801203558_1.htm
デイリーポータルZで中公新書の記事が出てる
>ビジネスマンが、出張に出たさい、東京―大阪間の6時間30分の車中で
>1冊読み通せる内容と分量を目安につくられたという
こんなところに鉄道趣味が反映されていたとは驚いた >>842
最近の新書は中身スカスカで2時間もあれば読めてしまうものも多いな。
読み応えのあるものもまだまだあるが。 >>842
推理作家の斎藤栄は「最近(*)は東京から大阪への移動時間を3〜4時間とみて、
その間に読み切れるようなボリュームにするのが主流となっています」とか言っていた。
*昭和61年の講演内容 >>840
中島みゆきは知らなかったが松山千春は知ってた宮脇氏 >>845
西村京太郎も以前、東京大阪の新幹線2時間半で読み終えて「面白かった」と思ってもらえるのが理想、と書いていた。
繰り返し読むことはもう想定されていないんだな。 書く方は書き捨て、読む方も読み捨て
文学の一つとしてこれはこれで有りだろね
じっくり読んでると、これは前のとほとんど同じ?
なんてよくあるし、書き手も読み手も気にしてないだろう >>845
千春はフォークだから?
さすがにかぐや姫や陽水は知ってるだろう 錦川鉄道の御庄駅、いつの間にか「清流新岩国」駅に改称されてたんだな。 >>849
俺も前にそう思った。
だけど、改称されたのは5年以上も前らしい。
最近、時刻表買うのも年に1、2回になってしまって、変化についていけなくなっている。
新線にも殆ど乗れていない。 明日はまた今泉駅で迎える人はいるのだろうか。
73年前の今日、氏は鉱山の宿だっけ >>849-850
2013/3/16だそうです。 赤湯着9時44分、 11:02→今泉11:30だった あの列車は実は遅れていた
という考察が、
鉄道の文学紀行
という本にあったな。 >>850
中央東線の鈍行が殆どロングシート化してから
鉄道の旅の意欲が大きく減退した きのう放送された「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!」の秘境駅のコーナーで、
かつて宮脇氏も利用した釜石線の上有住駅を訪ねてた。
列車が来ない時間帯にはホームのすぐ脇をサルが歩き回っていて、原敬首相を思い出した。 あす放送の「帰れマンデー見っけ隊」はわたらせ渓谷鉄道が舞台。楽しみ。 >>861
「出発!ローカル線聞き込み発見旅」を見ている。 >>865
むしろ、藤井フミヤが国鉄職員だったということを今知った。
当時はみんな知っていることだったのか? どこだかわからない「はいき」駅で働いてたんだよね。 徳田耕一の本を読んでいたら、
「昭和55年11月、名鉄で行われたイベントに宮脇俊三氏が参加した」との記述が。
先生は名鉄に関してほとんど書いていないと思うのだが、
別に名鉄が嫌いだったわけじゃないんだな。 >>870
特にキライな鉄道はなかったと思うがな
ダイヤが複雑で読みごたえがあるから、時刻表愛読者として国鉄に惹かれていただけだったかと 徳田=20歳以上も年下の鉄ヲタの結婚式に、
先生がわざわざ名古屋まで行って参加したのはどうしてだろうか。
先生は徳田のことを鉄道作家の後輩として可愛がってたのかな?
徳田の書いた本を読むと、作風は宮脇よりもむしろ種村に近いと思うのだが。 結婚式にまで参列したってことはそこそこ繋がりがあったのかね? 昔は親しくても遠くに住んでれば結婚式には出なかった
今は近くに住んでてもよほど親しくないと結婚式には呼ばれない
そもそも結婚式の件数が少ない
新幹線開通から20年くらいが
もっとも結婚式参列者が多かったと思う >>879
俺も寝ぼけ眼で見出し見たとき、タンシンと読んであとで恥ずかしくなった。
地図で見て、石勝線が楓の先でちょっぴり旧胆振支庁をかすめることを初めて知った。 しかし、胆振線では、胆振地方のどこから出てどこへ向かうのかさっぱりわからない。せめて伊達紋別と倶知安を結ぶ、或いは胆振と後志を結ぶという点から路線名をつけられなかったのか。
胆後線では丹後と紛らわしい。
後胆線も今ひとつ。
伊倶線や倶伊線もなぁ…
倶知伊達線… クチダテ線? 長過ぎる。
伊倶知線… イクチ線?
という議論が国鉄内部でもなされたのかもしれない。 鉄道って、ある程度の地理の知識を利用者に要求しているところがあるよな。
それがクルマとの大きな違いだ。 昔は車で遠出しようと思ったら地図を読み込んで自分でルート決める必要があったから鉄道より難しかったくらいでは?
今ナビで行けるようになったのは、鉄道が乗換検索アプリ頼みで行動できるようになったのと同じようなものだし カーナビで何も考えずに運転するのを他の移動手段と較べるのかぁ ナビなしで初めてのところに行くのはかなり大変だぞ。どこの出口で出る、どこで曲がる、どの車線にいる、今でこそナビが細かく案内するが、それなしで例えば首都高走るとしたら、それなりの道路に関する知識がないと厳しい。
逆に鉄道なんかは、乗ってしまえばあとは勝手に連れて行ってくれる。もちろん乗り換えの手間とかいろいろあるが、車と比べてそんなに大変とは思わないな。
車を運転したことあるかないかで印象はだいぶ変わるだろうが。 残念だけど、これで日高線は全線廃止かもしれない。夕張支線もこのまま復旧することなく廃止かも。 >>889
来年の春には廃止されるから、工事が必要な箇所があってもバス代行だろうな。
個人的には富良野〜新得は復活してほしいのだが。 毎回書いてる
【はるかクナシリに】第45宮脇俊三スレ【白夜は明けるウゥー】
「明ける」のあとの「ウゥー」がえも言われぬ味を出している。 おおぞら2号 東室蘭まで、と記入した三枚目をそっと出した。 ちょっと前の本だが、文春文庫「明治大正昭和史 話のタネ100」というのの中に、
第21章「なぜ『黙れ!』だったのか」というう一文があり、佐藤賢了と宮脇長吉の話が出ていた。
もちろん「この宮脇の息子があの宮脇俊三である」ということも書いてあったが、それより佐藤中佐と宮脇長吉の関係が意外なところにあったというのが面白かった。「黙れ!」の件も親愛の情から出たものか?という意見も。 【若い係員が】第45宮脇俊三スレ【衝立ての蔭に】
やがてやや大きな声で「いいですよ、立てますよ、どうせ誰かが次スレ立てなきゃならないんですから」 衝立の陰にいた若い係員のインタビューを撮れたメディアはまだない、
ってこと? 衝立の陰にいた若い係員は、このスレに来てない、
ってこと? >>902
誉めていただいてありがとうございます。 【いろいろ】第45宮脇俊三スレ【行きたいところがあるんで】 >>906
【お客さん】第44宮脇俊三スレ【どこへ行きたいの】の次スレにぴったりだな >>907
じゃあその次スレはそのあとの窓口氏の挙動ってことで‥‥。 【これはないですよ】第46宮脇俊三スレ【それはいらない】 そういえば宮脇さんの時代って、まだSuicaなんてなかったっけ。
行き先を決めずに改札を通れる時代になったらどんな旅と文を書いただろうね。 >>912
そうか、18きっぷがあったね(笑)
随筆は覚えてないなあ。久しぶりに読み返すかな。
あるいは電子版を買い直すか。 立体って、片道は飛行機だから立体って、気付いた時ネーミングセンスに呆れたわ ニューワイド周遊券は便利だった。
往復の経路を自由に選べる点で。
もっとも、自由過ぎて旅行会社でないと発券できないし、何日もかかるのが欠点ではあったが。 【旦那トンネル】【勇敢マダム】なんてどうでしょう? >>912
新快速利用で姫路乗り換えの写真見たことある 新潮社の騒動見たら元編集者としてなんというだろうか
新潮45にも書いてたよな >>917
ニューワイド周遊券で九州乗りつくしたことある >>923
俺は北海道。
帰りに大船渡線や磐越東線に寄り道することが出来たのはニューワイドのおかげ。
係員にもよるが、藍君が言われたような面倒そうな対応はされなかった。どんな応対されるのか、当時中学生だったからヒヤヒヤしながら、申し込み用紙をそっと出した。 多分藍君が宮脇俊三名義で申し込んだから
「いますぐでなくていいんだろう」
なんて皮肉を言われたのだと推察する >>911
オレンジカードは
行く先決めずに通れたで >>927
オレンジカードは切符に引き換えないと改札通れないけど… >>927
それはむしろJスルーカードとかだろ。西日本でいうところの。
オレンジカードからすればずいぶん便利になったと思った。今でこそSuicaやICOCAが当たり前だけど、当時は画期的だった。 宮脇作品で、三島のうなぎを食べたくなって伊豆急の駅からタクシーで修善寺まで出て
伊豆箱根で三島に出た、と言うのがあったよね。
電車を降りるとホームにうなぎのにおいがした、と書いてあったんだけど
本には駅名もうなぎ屋の名前も出て来なかったんだっけ? >>930
懐かしのJスルーカード
伊丹市交通局や明石市交通局も使えた。 ホームに出たら警備が物々しくて御召し列車が来たじゃなかった? ウナギ屋に眼鏡を置き忘れた、と思ったら……は川越だったか >>933
それ、伊豆急行だな。
確か修善寺から河津に抜けたんじゃなかったか? >>929
懐かしのイオカード。
スイカも10年くらい前はスイカイオカードなんて言ってたっけ。 鹿島線の潮来あたりを歩いた時も、鰻屋の匂いが云々てあったね。 >>937
そういう店では利根川の天然鰻を頂けたのかもしれない。 浜名湖や霞ヶ浦は汽水湖だからわかるが
三島が鰻が名物というのがわからん 山形などをうろついてから、ついでに俺に乗って、その日のうちに東京へ帰ろうたって、そうはさせんぞ 10月3日(水)21:30〜21:55にNHK・Eテレで放送される「趣味どきっ!おとなの歩き旅・秋」
宮脇氏も訪ねた備中松山城を取り上げるぞ。このおしろもすっかり有名になったな。 作家に転身してからクリーニング代の出費が減って奥さんは喜んでた 北海道でも九州でも全国一律におっさんの語尾は「・・・ですわ」 >>912
「駅は見ている」に収録されてる「行方定めぬ『阿房列車』〜青春18きっぷの旅」 北見あたりだと旭川・札幌への移動は既にシェアのほとんどが高速バスで、
JRなんか完全に見捨てられてるけどな >>958
今は在来線だとホーム上はおろか
改札内で駅弁を買える駅すら少ない このスレ 平均年齢どのくらいなんだろう?
周遊券使った自慢が話題になるから
40代くらい?それとも50代行ってるかな? 先生の全盛期(1978〜1987)に思春期以上の年齢であることが必須だと思う。
つまり一番若い住人で1974生ぐらいか。 自分は39
確か小4で「終着駅へ行ってきます」を読んだのが始まり。
上でニューワイド云々と書き込んだのも自分。 >>963
周遊券使った話ししてる奴はそれが自慢であるなんて全く思ってないと思うぞ 盛岡ー宮古とか
郡山ー平とか
ずいぶん文数少ないとオモタら、
バスが普通やんやな >>965
早熟だね。
鉄ヲタは、子供の頃にまず種村から入って、長じて宮脇に転向するって話をよく聞くけどな。 自分は44だけど、何がきっかけだったのかは思い出せないな。 俺50。高校の頃図書館で最長片道借りたのが出会いだな >>968
自分は「最長片道切符の旅」で初めて種村を知ったクチ。 52歳丙午です。
12歳で「鉄道旅行術」
15最で「二万キロ」
でした。 53.10改正の時刻表を買ってきたので
最長片道切符の旅を対照しながら読んだら、最高に面白かった
「今日の予定ははっきりしていない」とか何気ない文が実感として伝わってくる
列車を追いかけるだけでも楽しいし、どの駅弁を買ったのだろうか、
巻末ので見つけた旅館はどこだったのか、とかいろいろ想像できる
文中に列車の時刻をしつこいくらい記したのはこのためだったのか、と思った
スレ住人にはわかりきったこと言うなと思われそうではあるけど きかんしゃやえもん
ケイブンシャ
西村京太郎
種村直樹
竹島紀元
宮脇俊三
(再度)阿川弘之
内田百
てな順番かな。 >>968
965だが、それより前に北杜夫を知っていたから新潮文庫つながりで入っていったと思う。
或いは「マンボウ交友録」あたりを読んでいたからかもしれない。
種村直樹を知るのはもっと後だった。
阿川弘之の方が先。
種村へはジャーナルか何かから入っていったと思う。中高生のときはそれなりには読んだが。 俺は鉄ヲタじゃなかったのに40過ぎて読み始めてからニワカヲタになった >>965
俺は最初に11歳で読んだのが藍君シリーズで
次に終着駅に行ってきますと世界の果てへ
(いずれも親父の買って来たハードカバー)
後から自分の小遣いで文庫の2万キロと最長片道切符を買って読んだから印象がかなり変わった 1969年生まれ49歳。
高三くらいの頃、古本屋の店頭で100円で売られていた「最長片道切符」を手に取ったのが最初。
中学生くらいから乗り鉄を始めたが、
時間も金もままならず、
未乗のローカル線が廃止されるのを指をくわえて見てた。
執筆された昭和50年代は自分にも記憶があるほんの一昔前。
乗りたかった路線、これから乗りたい路線が記されていて、本当に興奮した。 また今年も「最長片道切符」の時期になりました。昭和53年(1978)の旅からちょうど四十年経つわけだ。
当時の開始日は10月13日の金曜日。
このスレも同時進行でいくのかな‥‥。現在の違いなども感じながら このスレッドは1000を超えました。
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