【お客さん】第44宮脇俊三スレ【どこへ行きたいの】
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前スレ
【鯉が名物】第43宮脇俊三スレ【は何もない】
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/train/1497822958/ JR完乗は、
国鉄時代より格段に簡単、
ってこと? 2万キロ切っちゃったもんなあ…。
一応自分は宮脇御大の影を慕おうと旧国鉄(松浦鉄道等)や旧国鉄計画線(井原鉄道等)なんかも含めて完乗を目指してる。 きっぷ類は昔のが充実していただろうけど
北海道や北九州などの路線図みただけでやる気が失せるようなところが
減ったのはでかいよね 天変地異で路線運休が続いているので国鉄時代よりも実は完乗は難しくなっているのかもしれない。
運休路線が全く無かったのは最後はいつだったのだろう。
休止のまま廃止となると完乗地点自宅ということになってしまう。
岩泉線が廃止されたときは実際そういう人かなりいたのではないか。 >>781
2010年7月31日に岩泉線が土砂崩れで運休になる前はしばらくの間、
災害長期運休区間は無かったのでは?
その前は高千穂鉄道が2005年9月から運休→廃止
越美北線が2004年7月から運休→2007年6月全線復旧 JR北海道未乗区間
・札沼線 あいの里公園ー新十津川
・日高本線
・留萌本線
・富良野線 名松線の運休が2009年10月からですね。
越美北線復旧から2年4ヶ月、高千穂鉄道廃止から10ヶ月の間に完乗できた人は運がよかったということか。 JR西日本のサイトによれば、新見〜備後落合は年内に運転再開予定らしい。
そのまま路線廃止も危ぶまれていたが、取り敢えず何とかなるということか。
狩留家〜備後落合と府中〜塩町の復旧にはかなり時間がかかるようなので、三次は当分、鉄道のない市になるな。 >>785
三線が合する駅で
一線が廃止された直後に残り二線が不通か >>785
三次では、みなさん猛然と「ハンバーガー」を食べて支援しましょう。 三次駅のハンバーガーはドムドムだったのだろうか。グリコアだったのだろうか。 現在の三次駅前はバスターミナルの2階の「たむ商店」でお好み焼きを食べるしかない。 あのお好み焼きは結構うまかったけど11時開店なのでそれ以前に到着すると
あとはコンビニまで歩くしかない。 三次駅は91年に立ち寄ったきり
たしか駅舎の隣にあった気がするお好み焼き屋で遅い昼食を摂って三江線に乗ったけど
そんな店も無くなって、すっかり変わってるんだろうな
バーガー屋もあったのか 三次駅は2015年に橋上駅舎に改築されたから、
宮脇翁が見た駅舎はもう無いんだよな。
Wikipedia見てみたら、先代駅舎は1978年完成だから、宮脇翁は先代駅舎の新築直後に訪れている事になる。
今改めて『最長片道切符の旅』の該当部分見てみたら、「新装成った三次の駅舎」ってちゃんと書いてあった。 >>794
東武春日部駅が未だに橋上でも高架でもないのに
全列車運休中の三次駅が橋上駅なのか
因みにドムドムバーガーのインパクトで
三次は昔から橋上駅と脳内変換されていた >>795
取材ノートには、三次駅での記載はないですね。 >>793
徒歩5分のサングリーンの「一休庵」なら9時半からお好み焼きが食べられるみたい。
https://tabelog.com/hiroshima/A3405/A340501/34022599/
(↑)食べログの口コミに鉄オタの書き込みがw 14年前に訪れたときは家が立ち並んでいた備後落合駅前
最新のGoogleマップで見たらスカスカになっていたのが寂しかった
元駅前旅館の建物は健在だったが >>799
備後落合なんて、今は駅以外人家はあるかなきかだろ。
おでんうどんは15分くらい歩いたドライブインで売られてるらしいが。
というか秘境駅認定されるくらいだから、実質的には芸備線と木次線が分かれるだけの信号場みたいなものになっているのだろう。 >>792 >>798
「たむ商店」が何だか気になる。
>>800
検索かけてみると、入っているのがどれも「玉子、スジ肉、厚揚げ、海苔」ですね。
リクエストできるらしいですが、どれも同じだった。 今日12時20分の「サラメシ」再放送のエンディングは、宮脇先生が愛した駅弁。 「たむ商店」は、意欲的に福岡市に支店を出したが、長続きしなかった。 >>802
社員食堂のテレビにいきなり氏の顔が映ったからびっくりした。 今年は「最長片道切符の旅」からちょうど40年なんだな。時代も変わり鉄道や旅を取り巻く
情勢も恐ろしいくらいに変わってしまったなあ。 >>810
40年も経てばねぇ。
昭和53年当時に、40年前の昭和13年を思い起こせば似たようなことを思うんじゃないか。
もっとも、昔と比べて変化のスピードが増しているから、同じ40年でも変化の度合いは違うだろうが、いずれにしても40年も経てば世の中大きく変わっているだろう。
そういう810は40年前、何してたんだ? これから先起こる大きな事って・・
リニアモーターカーの登場。
JR北海道の倒産。
青春18きっぷの廃止。 JR北は潰れはしないぞ。精算するだけ。
あとな、電車通学ってものがある限り、閑散期の普通電車専用の、マルスで印刷するだけで丸儲けのきっぷなんか廃止しないよ 大学生で集中講義出席の時、通学定期代わりに18使ったなあ 810ではないが40年前はブルートレインブームで鉄道に目覚めた小学生だった
40年も経てばブルートレインが完全消滅も仕方がないか
その当時からわずか9年で国鉄が消滅してしまったわけで 阿房列車が1950−55年だから
宮脇氏の「最長」まで20数年。
その間の変化の方が、
その後の40年より大きく感じる。 >>813
ムーンライト全廃以後
青春18のための投資って
大垣米原間の増結くらいだもんなw 40年前ってIT関連は比べ物にならないけど
生活基盤はさほど変わってないからな
郊外の住宅地から電車通勤のサラリーマン塾通いの子供
ファストフードやスーパーマーケットもあったし
飛行機や海外旅行もまあまあ一般的になってた頃
その頃の103系115系485系なんかも最近まで走ってたわけだし >>817
いや、相生-岡山もいつの間にか3両が7両が状態化 阿房列車では
踏切で待ってる人たちが
番傘に下駄と書いてたな >>818
西じゃ103も115もまだまだ健在だけどな。
奈良線なんかこないだようやく103の置き換えが始まったと思ったら国鉄型の205だぜ。
JR発足して30年以上経ってまだ国鉄型を国鉄型で置き換えるとは思わなかった。 あの205系、阪和線のお下がりだからな。
在阪の鉄道会社はステンレス車なら半永久的に使えると思ってるらしい。 昨日、朝日の夕刊(東京)に名前が出ていた石田穣一さんて、
沖縄にいたあの石田さんかな? >>824
石田さんの妹さんが長崎で被爆して、
その体験を昔本にした。
本は出版したけど、直接語ることは長年できないでいたが、最近になって後生のために語るようになった。
最初に執筆を勧めたのが、兄の穣一さんだったという。
穣一さんが元裁判官で現在90歳ということで、もしかしたらと思った。 >>825
ああそれなら本人で間違いないね
石田穣一氏本人は旧制成蹊高校の学生だったので長崎へは行かなかったんだよね 英雄俊傑と一二三四の組み合わせ(ただし4は生まれず)じゃなかったっけ >>828
ああ、いや成蹊かどこかの同級生で仲がよかった三人がいたってこと
JR東日本の住田さんだっけか >>828
息子にそんな名づけを予定していながら
奥さんが俊三君を身ごもったとき、「またか」
そりゃあないよ長吉さん・・・ 「傑四」ができたら「もういいよ」となったのか。
阿川家もひとりおろしていたっけ。 We were TTTT
We love Train Travel 私だって、五木ひろしの面相はいただけないが歌唱力は群を抜いている、といったぐらいの鑑賞力ならある。 ttp://portal.nifty.com/kiji/180801203558_1.htm
デイリーポータルZで中公新書の記事が出てる
>ビジネスマンが、出張に出たさい、東京―大阪間の6時間30分の車中で
>1冊読み通せる内容と分量を目安につくられたという
こんなところに鉄道趣味が反映されていたとは驚いた >>842
最近の新書は中身スカスカで2時間もあれば読めてしまうものも多いな。
読み応えのあるものもまだまだあるが。 >>842
推理作家の斎藤栄は「最近(*)は東京から大阪への移動時間を3〜4時間とみて、
その間に読み切れるようなボリュームにするのが主流となっています」とか言っていた。
*昭和61年の講演内容 >>840
中島みゆきは知らなかったが松山千春は知ってた宮脇氏 >>845
西村京太郎も以前、東京大阪の新幹線2時間半で読み終えて「面白かった」と思ってもらえるのが理想、と書いていた。
繰り返し読むことはもう想定されていないんだな。 書く方は書き捨て、読む方も読み捨て
文学の一つとしてこれはこれで有りだろね
じっくり読んでると、これは前のとほとんど同じ?
なんてよくあるし、書き手も読み手も気にしてないだろう >>845
千春はフォークだから?
さすがにかぐや姫や陽水は知ってるだろう 錦川鉄道の御庄駅、いつの間にか「清流新岩国」駅に改称されてたんだな。 >>849
俺も前にそう思った。
だけど、改称されたのは5年以上も前らしい。
最近、時刻表買うのも年に1、2回になってしまって、変化についていけなくなっている。
新線にも殆ど乗れていない。 明日はまた今泉駅で迎える人はいるのだろうか。
73年前の今日、氏は鉱山の宿だっけ >>849-850
2013/3/16だそうです。 赤湯着9時44分、 11:02→今泉11:30だった あの列車は実は遅れていた
という考察が、
鉄道の文学紀行
という本にあったな。 >>850
中央東線の鈍行が殆どロングシート化してから
鉄道の旅の意欲が大きく減退した きのう放送された「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!」の秘境駅のコーナーで、
かつて宮脇氏も利用した釜石線の上有住駅を訪ねてた。
列車が来ない時間帯にはホームのすぐ脇をサルが歩き回っていて、原敬首相を思い出した。 あす放送の「帰れマンデー見っけ隊」はわたらせ渓谷鉄道が舞台。楽しみ。 >>861
「出発!ローカル線聞き込み発見旅」を見ている。 >>865
むしろ、藤井フミヤが国鉄職員だったということを今知った。
当時はみんな知っていることだったのか? どこだかわからない「はいき」駅で働いてたんだよね。 徳田耕一の本を読んでいたら、
「昭和55年11月、名鉄で行われたイベントに宮脇俊三氏が参加した」との記述が。
先生は名鉄に関してほとんど書いていないと思うのだが、
別に名鉄が嫌いだったわけじゃないんだな。 >>870
特にキライな鉄道はなかったと思うがな
ダイヤが複雑で読みごたえがあるから、時刻表愛読者として国鉄に惹かれていただけだったかと 徳田=20歳以上も年下の鉄ヲタの結婚式に、
先生がわざわざ名古屋まで行って参加したのはどうしてだろうか。
先生は徳田のことを鉄道作家の後輩として可愛がってたのかな?
徳田の書いた本を読むと、作風は宮脇よりもむしろ種村に近いと思うのだが。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています