2次振動系の設計不適切による事故は1940〜1941年と続いたゼロ戦の墜落事故解析で
究明されたことであり、一般解としては設定パラメター次第で、臨界制動、過制動、
振動応答(共振特性)と変わり、ゼロ戦では部分的な補強や、最高速度制限で対応して
きたもの。その痛恨の知識が鉄道技研での高速電車開発開発に持ち込まれて1957年から
強要されたが、1962/11のピッチング共振:鶴見事故までの間に5年〜21年の長い時間
が有って、振幅を数10倍に増倍して危険な状況を作りかねない共振現象が世間に良く知
られた知識になる余地はあったはず。(→松平精)

 ワラ1型の軽荷重時のピッチング共振はどこでも見られていて、線路の不整箇所通過
直後に暴れ馬のように激しく「ガッコン、ガッコン、ガッコン、〜〜」と数サイクルも
ピッチングしていた。それが危険な現象だというのが広く知られていたら関係箇所に
情報が集中されて、鶴見事故発生前に回避策が採られていた可能性はあるのだが、
臨界制動状態だけが注目されてしまい、「バネ上荷重化」などの不適切な国鉄語で説明
されて極限されてしまい、広く活用されにくくなってしまった。(4回の脱線事故となった)

 一般職員は「共振」の危険という総論的理解で足り、実際に微分方程式を解く数学的
能力は必ずしも求められないのだから、猿山のボス猿支配的な全面否定がなければ知識
として広がっていただろうに残念!(これは貨物スレの方が流れとして適する話題かな?)