立ち去るとかはポイ捨てとか読者の勝手な想像なのでこの場で共感を得ようとしないでほしい
あくまで啓蟄のつちくれの上に缶コーヒーを置いたところまでしかあの文面では描かれてない
俳句の奥の広がりは読み手に委ねられてるって夏井先生もよく言ってるだろ

というかちゃんとプレバト見てたら自然と身に付きそうな感覚だと思うんだけど…