>>228
私は森田式では完治しなかったから仏教を学び、仏教によって完治した人間ですよ。
ですから、<一般的解釈の森田式>はどうでもよいということなのです。
神経症が完治してみると(水谷啓二先生が晩年に主張されたように)、森田式の真髄は
仏教と同一であるという自覚が生まれます。
つまり、私の森田療法の理解はあなたの森田療法の理解とは異なっているのです。

>>229
>理解する禅や仏教なぞ存在せん、、御存知か?

それが、あなたの正しいと思っているただ一つの解釈なのです。
(あなたはのことに気付いていないようですね。)

>>230
あなたは、私の言う<<自我認識の転換>ということが解っていないのです。
解っていないにも関わらず、解ったつもりで反論しようとされているので、
ナンセンスな反論になっているのです。
仏教の重要な語句というものは体験(宗教体験)を言葉に表わしたものですから、
体験のない間は解ったつもりになってはいけないのです。
(師匠に就いたことがなく、本だけを読んで仏教を勉強している人はその間違いに
気が付かないことが多いものです。)

>>231
あなたは師匠に就いたことがなく、「仏教の悟りは・・・・のものだろう」という
先入観を持ってしまっているようですね。
だから、私は大乗仏教(とくに浄土真宗)を勉強すればよいと言うのです。
浄土真宗の世界を学べば、あなたが言っている
<『他を求めている行』になっておる> とか
<<解釈>すれば遠離する、、、> とか
<深い悟り無し、浅い悟り無し、、> などの先入観は吹っ飛んでしまうでしょう。