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被告は1991年4月に、両親の間に長女として生まれた。下には次女、そして被害者、三女がいる。
後に6人で、酒々井町の家に住み始めたが、2008年ごろに父親が精神疾患により休職し、自宅で療養生活を送るようになった。
自殺未遂を図り救急車で搬送されたこともあったという。
2011年には両親が離婚し、母親が出て行く。その2年後、三女も家を出て母親のもとへ。4人で暮らしていたが、2014年に父親が死亡し、次女も出て行った。
以降事件まで、この家に暮らす。
 両親の離婚当時、父親に経済力はなかった。だが、きょうだい4人とも母親について家を出ることを拒み、父親と酒々井町の自宅に残った。
それはかねてからの母親の虐待行為が大きく関係していた。証拠によれば母親は子どもたちが小さい時から体罰を加えており、特に被害者に対しては顕著だったという。
生前に母親の虐待について聞いていた元交際相手は法廷でこう述べた。

「母親のことは『あの人』と呼んでいました。ご飯を作ってくれないとか、掃除機でたたかれたとか、小さい時は頻繁に暴力を受けていたと言っていました」
 母親の弟であり、叔父にあたる人物も調書でこう語る。
 「姉はどもたちに対して、理由はよくわからないがよく怒っていた。よく怒られていて毎回ではないが頭をたたいたりしていた。
自分の母は姉のことを『いちばん育てるのが大変だった。アイロンでいすを壊したり、タンスを壊したり、モノに当たって大変だった』と言っていた。子どもたちは姉を嫌っていたと思う。
離婚した時も自分についてくると姉は思っていたらしいが、実際は誰もついて行かず、父のもとに残った。父親が亡くなっても子どもたちは姉に連絡することなく、葬儀の手続きを自分たちだけでやった。姉は『たまに電話しても出てもらえない』と言っていた」
 しかも当の母親も、法廷にこそ現れなかったが、調書で自分のこうした言動が事実であると認めていた。